このレビューはネタバレを含みます
『こわれゆく女』の原題は"A Woman Under The Influences"。under the influencesとは「何かの影響下にある」という意味だが、辞典を参照するとunder the influences of wine(ワインに酔っていて)のように、何に影響されているかの単語が明らかにされる。しかしこの原題では明示されていない、ということは、何の影響を受けているかを受け手に想像させるということだ。
「夫ニックの同僚にやたらベタベタする」「子供たちに会いたくなって部屋着のまま通りに飛び出す」「子どもたちのクラスメートの親御さんを無理やりパーティに参加させる」といったメイベルの奇行は、最初、メイベル自身の問題行動のように見えた。しかしときおり挟まれるニックの怒鳴り声、威圧的な行動を見るにつけその認識が変わっていく。メイベルの行動は、ニックの普段からの言動による被害なのではないかと。
ドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力、以下「DV」)を恐れる人は、暴力をふるう人間に従順になるという。それで精神を病んでしまうことは想像に難くない。結果としてメイベルは入院させられた。その間にニックが子どもたちを海に連れていく場面がある。子どもを思っての行動に見えるが、授業中の学校から子どもたちを連れ出し、海で遊ばせ、帰りのトラックの荷台ではニックが飲む缶ビールをねだった子どもたちに、止めることもなく与える(ちなみに缶のフタを道路に投げ捨てている)。私とて晩酌する父親にビールをひと口もらったことはあるが、子どもが「夕食を要らない」と寝てしまうまで飲ませるのは明らかに度を超えている。英語版のウィキペディアで指摘があるように、メイベルと同様にニックも親としてふさわしくないふるまいをしているのである(※1)。
弁護士の持田秀樹氏は、自身のブログでこう語る。「「DV事件の難しさのひとつは、加害者の支配欲が、いびつな形であるにせよ「愛情」の表れであり、また、往々にして加害者側が暴力をふるった後に優しく振る舞ったりすることなどから、被害者側が「この人は私のことを愛してくれている。」「本当は優しい人なんだ。」「私が悪いんだ。」「私がいなければ、この人は駄目なんだ。」などと思い込み、DVの連鎖を断ち切れないことにあります。また、親兄弟など周辺の人が「DVではないか」と感じていても、当事者が気づいていないことも多々あります」(※2)
決定的だったのは、退院後のパーティーでのメイベルの「Dad, will you please stand up for me?」(パパ、私のために立ち上がってくれる?)というセリフである。メイベルの父親はそれを額面通りに受け取り椅子から立ち上がるが、「そうじゃない、座って」とメイベルに言われて混乱する。「意味がわからない、どういうゲームなんだ?」という父親に、メイベルの母親は「あの子の言う意味がわからないの?」と厳しい視線を投げる。どう考えても、「私のために闘ってくれる?」というメイベルのSOSだろう。直接的に助けてと言おうものなら、またニックに押さえつけられるのは目に見えている。最後にはニックとメイベルは平和的に家の片付けを始めるが、エンディングとともに聞こえてくる電話のベルの音。その受話器を取ったかどうかは定かではない。あのベルの音が、メイベルの父親から差し伸べた手であって、メイベルと子どもたちが救われるようにと、祈るばかりである。
病んでいくメイベルを演じたジーナ・ローレンズの演技は圧巻の一言。そして、はためには仲睦まじい夫婦、愛情ある家庭に見えても、その実は恐怖の支配による場合があるということは、私自身は昨今になってやっと学んだことだ。それを1970年初めに描いているカサヴェテス監督の着眼にはお見事というほかない。
※1 (Wikipedia、A Woman Under the Influence、Plot、2023年7月1日更新、https://en.wikipedia.org/wiki/A_Woman_Under_the_Influence、2023年7月2日閲覧)
※2 (持田秀樹「その愛情と優しさは、DVかも!?
2016年3月13日記事、http://www.mochida-law-office.net/blog/2016/03/post-12-338638.html、2023年7月2日閲覧)
注 2023年7月2日16:56 引用元の表記を修正。