調理されていない生の荒々しい言葉こそ、相手の心によく伝わる。
教師としてもコミュニケーション科目の英語科としても人としても「伝える」ことについてよく考える。
吃音のキングのスピーチ。一つ一つの言葉の重厚感も一つの音ですら蔑ろにしない丁寧さも心を落ち着かせるための間も。それは、スラスラと「上手に」読まれた整ったスピーチよりもずっと伝わった。伝えるのに綺麗さは不必要だ。何だか分からないけど心に響いた、という経験は少なくない。
スピーチと言えば、
中学3年生の夏。同年春に中学校生活の全てを捧げる程の部活動を辞めたことを英語のスピーチにした。辞めた部活に対する後悔を叫んだ。まだそこには温度があって生々しかった。そして、そのスピーチの最後で私は中学校の先生になることを宣言している。スピーチは市内で入賞した。そしてその時の賞状は奇遇にも今勤務先の学校の校長から手渡されたものだった。
教師1年目の夏、2人の生徒をスピーチコンテストの後輩として指導した。真っ直ぐな想いの籠った垢抜けすぎない最高のスピーチだった。
何かを理由に伝えることを諦めたくない。