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ハズバンズのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ハズバンズ(1970年製作の映画)
4.4
 快調にレアグルーヴが流れる中で、4人の大人たちはプールで互いの肉体を誇示する。ピーター・フォークがベン・ギャザラが、ジョン・カサヴェテスが満面の笑みでカメラに収まるのだ。これからどんなに胸が弾むような男たちのドラマが始まるかと思うが始まった瞬間、男たちはすっかり肩を落としている。アヴァンタイトルに出て来たもう1人の男は既にここにはいない。彼らとずっとバカ騒ぎするはずだった男はいきなり鬼籍に入り、3人は彼の葬式に向かおうとしているのだ。戦場でもないのに突然病死した今は亡き親友を思いながら、3人は殆ど初めて限りある時間を想う。やりきれなさと悲しみと寂しさが混在する微妙な表情だ。もしかしたら怒りが強いのかもしれないが3人は他の葬儀の参列者のように一向に帰ろうとしない。日常生活へと戻ろうとしないのだ。3人それぞれに家庭を持ち、家には子供たちもいる。それぞれ広告マン(ベン・ギャザラ)、新聞記者(ピーター・フォーク)、歯科医(ジョン・カサヴェテス)といわゆるお堅い職業に就きながら、彼らの行動は全てが破綻している。これは決して亡き友を想い情感がこみ上げ、酒も手伝っての突飛な行動ではないらしい。まるでトリュフォーの『突然炎のごとく』のようなトンネル全力疾走シーン(この場面は何度観てもびっくりする)があった後、地下鉄に乗ってようやく帰路に着くかと思った所から大きなうねりが始まる。

 今作はあの『ハングオーバー!』シリーズの元ネタであり、今も昔も倫理観を揺さぶられるような心底狂った映画だ。『ハズバンズ』というタイトルから察せられるように、ジョン・カサヴェテスは今作の理想的な観客を全ての「旦那さんたち」しかあらかじめ想定していない。映画好きのご婦人や何なら奥様やマダム達、そして若い女性たちには今作を観るなと最初から明確に線引きするのだ。それ自体が現代では排他的として大変好ましくない。良い年をしたおっさん達のおふざけは大変痛々しい。いつまでも大人になり切れない大人たちが巻き起こす事件の数々は正直言って非常にタチが悪く、眉を顰める場面は一つや二つではない。なぜ当時こんな映画が許されたのか?ヴェトナム戦争への厭世観からアメリカン・ニュー・シネマが生まれ、「お家に帰りたい」は当時の若者たちの本音を体現していた。だがジョン・カサヴェテスとピーター・フォークとベン・ギャザラの3人は何時間、何日経とうが一向に我が家へと帰ろうとしないのだ。ここで繰り広げられる大人の痴態には心底耐えられないものも多い。特に酒場の場面の俳優たちの傍若無人な態度には心痛める者も多いはずで、昔何度も観た131分版でカットになっていた場面の殆どが目を覆いたくなるようなこの場面の検閲による削除だったように見える。

 トーク・ショーで安川有果監督と鈴木史氏が言っていたのもまさにこの場面の描写や演出に起因するもので、素人のご婦人を連れてきて、いきなり何をされるかわからない場面で3人の名の通った俳優たちに代わる代わる詰られれば、誰だって思うことなど言えないはずだ。映画的欲望は偶然の場面を無性に撮りたがり、監督は素人の俳優に対して素人であるがゆえに時にパワハラ紛いの高圧的な演技を強いる。安川有果監督の語気の強い指摘は最もだろう。彼女の当時の発言を知れば、いまこうしてジョン・カサヴェテスの今作を楽しむ気持ちにはとてもなれない。だが私は逆説的に当時のジョン・カサヴェテスを筆頭にしたピーター・フォークとベン・ギャザラの映画的欲望が今作を奇跡のような映画たらしめているのだと言いたい。今では絶対にアウトな今作も52年前の現場では全てが倫理的には合法だったのだ。確かに今の法律や機運をもってすれば幾らでも断罪可能なこの映画も、52年前の空気ならアリだった。現代なら絶対に作られない映画が52年前には奇跡的に撮られていて、今もこうして映画史の中の名画として様々な場所で上映されている。その事実だけで十分だろう。21世紀を生きる男性として大っぴらな発言は憚られるもののの、個人的には本当に大好きな傑作!! オリジナルの142分版を観られたことは今年の年末の最高のクリスマス・プレゼントだった。
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