タマル

HANA-BIのタマルのレビュー・感想・評価

HANA-BI(1997年製作の映画)
5.0
もうちょっと待ってくんねぇか………。
以下、レビュー。


たけしがホント良かった。
たけし史上最も怖いたけし。
たけし史上最も優しいたけし。
たけし史上最も豊かなたけし。

そして、たけし史上最も好きなたけしです。


具体的な話。
本作に関して、蓮實重彦との対談中に武は

「10の優しさは10の暴力でしか帰ってこない」

と述べていたのを思い出しました。
分かったような分からないような微妙な感じのまま頭に残っていましたが、『ソナチネ』と本作の両方を観ることで、ようやく理解できました。

暴力とはなんでしょう?
そもそも私たちは、なぜ自分が嫌いな奴を殴りつけないのでしょうか。

罪に問われるから?
周囲の目が気になるから?
相手が自分より強そうだから?
では、そういった障害がなければ、私たちは暴力を振るうのでしょうか。

振るわない、と私は思います。

だって相手が「痛そう」だから。

つまり、相手にシンパシーを抱くという人間の基本的な共感性が暴力の抑制装置として機能してくれるのです。
転じて、暴力= 反共感の最上位だと言えます。
その反共感はやがて精神的「孤独」を生み出してしまいます。

『ソナチネ』の主人公村川はまさに「孤独」のドツボにハマった人でした。
ラストが幸と村川のカットで終わるのも、もはや共感による「孤独」の救済は訪れないことを画面構成のみで暗示してみせているわけです。
つまり、村川とは「10の暴力」が100、1000、1万を超えて、ついに臨界点を迎える「暴力の行く末」を体現したキャラクターといえます。

対して、本作の主人公西は「10の暴力」を「10の優しさ」で返す相手、妻の美幸がおり、北野武が前述していたような暴力と優しさの“振り子理論”を体現するキャラクターになっています。
自分の思惑を阻むものはことごとく薙ぎ倒し、彼は妻の美幸以外の人間に対しての共感を完全に遮断しました。
その「孤独」はまさに振り子運動の如く、病的なまでの妻への「優しさ」つまり深い共感を生み出したのです。

私は『ソナチネ』レビューに、掴みかねる、という言葉を使いましたが、それは余りにもストーリーに救いがないではないかという戸惑いも含んでいました。
その点では本作はかなりわかりやすく救いのある話だし、私にとっても理解しやすかった。
教訓話とか人物の好嫌いという次元ではなく、単純に、もはや普通の社会では生きられないほどに“他者”と隔絶してしまった人間が迎える結末として納得し、感動しました。泣きました。

私は、なんなら『ソナチネ』よりも傑作だと思います。
オススメです!!!
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