タマル

OK牧場の決斗のタマルのレビュー・感想・評価

OK牧場の決斗(1957年製作の映画)
3.0
「正義」というイデオロギーは相対的であり、絶対的でない。
むしろ、正義に必然的に排除されるべき立場の弱者こそ描かれるべき対象なのではないか。

現代ではこういった議論が支配的ですが、しかしだからといって現代に生きる私たちが前時代的な「絶対正義」に対して完全な防御力を持っているかどうかは怪しいと思います。容易な感情移入を欲する物語では未だに「絶対正義」が幅を利かせているし、私たちも作り手が「絶対正義」を如何にうまく隠蔽するかという技術こそが評価基準になってはいないでしょうか。
ポストモダニズムが世に広く浸透して久しい現代。イデオロギーが失効してしまう前の位階イデオロギーの極北として、現代人は再び西部劇を観直してみるべきだと思います。

本作「OK牧場の決斗」は、名前ぐらいなら誰でも聞いたことある超有名西部劇であり、これを貫く「絶対正義」は非常に頑強です。では、ワイアット・アープの「正義」がどれほど頑強かを以下に挙げてみます。

1. ワイアットは保安官であり、相手はならず者である。ならず者はワイアットの町の人々の暮らしを脅かしている。

2.ワイアットは戦いたくないと思っている。彼は銃を持たず、自らを戦いの中に投企することを避けたいと思っている。しかし、暴力のエスカレーションの中で彼は銃を持つことを決意する。

3.ワイアットはすでに大切な人を殺されている。大切な人を失った悲しみが彼を覆い、相手への怒りが静かにたぎっている。

以上、123を合わせて考えた時、ラストの大決闘(殺し合い)を見て
「ワイアット・アープは正義ではない」
などと言えるでしょうか?
123という状況設定により、ワイアットに好意的な感情を抱くまでいかないまでも
「まぁそういう理由なら仕方ないよな」
と彼の行為を肯定出来てしまうはずです。これこそが本作の「絶対正義」であり、これを打ち破るのは実に困難な作業だと言えるでしょう。
しかし、それでも絶対的イデオロギーなんてものはあり得ないのです。

本作は他にも「男らしさ」や「強いリーダー」のような現代で特に槍玉に挙げられるような概念を多く含んでいます。なぜ西部劇は死んだのか? それを考察する上で是非観ておくべき一本だと思います。

オススメです!!
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