ニューランド

鐘のニューランドのレビュー・感想・評価

(1966年製作の映画)
3.6
✔『鐘』(3.6p)および『幻日 夏目漱石「夢十夜」に拠る』(3.5p)▶️▶️

 作家が飛ばしすぎると、公開延期や中止に企業·興行界が持ってく事も結構あるが、そうすると禁断?超越?世界が、と余計に期待が膨らむ。実際、秀作·傑作の事が多い。混乱の’60年代は作品が多様化してきて特に、大手でも、興行面以外で首脳部が、『~夜と霧』『~烙印』等·封切間もなく市場から回収されたりもしてた。喜八や恩地らも公開が年単位で延期された、らしい(実際·実情はよくは知らない)。浦山や大島は数年間、映画の発表の場が与えられなかった。企業外作品では、余計に引っ掛かって来るだろう。
 『鐘』。青島の晩年のイメージで期待はあまりしてなかったが、元々才人だったのだ、を再認識させられる程、素晴らしい。映画のセオリー·ルーチン·嵌りどころ全くどうでもいいし、構図やモンタージュやプロットの効果等、殆どない。台詞は意味の殆どないないのが纏わってるだけでなく、無台詞に近く、気安く流れ続けるボサノヴァらの音楽内の肉声にリンクする位。GSや所用で停車中の乗用車やトラックに悪意を越えた‘わるさ’から、ローアングル様々の浜辺に着いた、四駆の男4人+クール美女、食や碁にかまけてるが、1人が海中の釣り鐘発見し、引き揚げんとしてるに、男達は1人ずつ·そして全員で参加の形に。高い崖上の櫓迄引き揚げ、鐘を鳴らす、目的に失敗すればするほど、普段と一転し、ゆとりとアタフタ行き来の、熱中に。ワイヤー·ロープをチョロまかし(抜き取る時に小屋や樽群を倒し転がし、婆さん役のなべの逃げまくり)、人力·岩ら重し·車で引っ張り上げる、様々にトライ。その都度の経過や後一歩失敗結末は、あまり鮮やかでも·オチが見事でもないが、映画としても·物語的にも、半壊状態の儘、不可思議なバランス·価値観で進んでく。最初の頃はあざとくもあり、下手だなぁ·少なくとも上手くはないなぁと観てるが、積み重なると映画観·世界観が、別次元にはみ出してる自分を感じる。挿入される女は先を見通した様な、男の馬鹿さを形にする火付けマッチ棒重ねや、ひたすらアイス食いに。男達は、降りくる鐘が下の男を追ったり、崖で宙ぶらりん男の気付かずや仲間の早すぎる花束投げ、台つけて集めた岩らの重しが即空中分解、等不条理やナンセンス続くが、描写の積上げがイージーなので、皆すぐ立ち直り、再トライの飽き無さ。そればかりか、周囲や仲間に対して、時に立場離れ更に貶める非情ハンター的。
 しかし、人物たちが、上手く行っても、ピンチになっても、何処かで底では嬉しそうなのだ。そうすると、繋ぎ·語りが可笑しかろうが、そうでなかろうがどうでもよくなる。フォローの重ね、必ず後一歩で手を休めて逆転、同じ行動パターンの伝播、主観や視界のトリッキーな入れ、先に述べた音響や声のなめらか囃し、全体に時代のセンスはいいが·映画センスはいまひとつ·しかしその造型はニューシネマの先取りのような面を持ち·しかしパセティックとは無縁でドライでキュート·あけすけ。(一般に映画的と言われる奴など)くたばれ映画、(アマチュアとも言えないが類似精神捨てない)映画万歳を、実感してしまう。総体として豊かだ。
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 武智は勿論、映画作家としても一流中の一流であり(取分け、リアルタイムの’80年代作品があまりに凡庸で20世紀のうちでは避けてたのを、今世紀後追いで観た嘗てイロモノ、とばかり思ってた’60年代作が、『白日夢』『紅閏夢』『源氏物語』等大方見事で、最高作『黒い雪』は真の傑作だった)、その中に完成したも公開に至らなかったのがあるとは少し驚きだ。素より分かりやすい易しい語り口ではないが、様式や仕掛け、文化·社会観の卓越した表現は、’60年代の価値観の変動·挑戦の時代にマッチし、今の観点からは結構オシャレで時代を超越したシャープさがあった筈だ。
 しかし、いざ当該作·黒澤作品と同じモチーフか·の『幻日』を観てみると、創られた世界が、今一つ親身に感じるものがでて来づらい。まずこの色調がよくわからない。モノクロをカラープリントで焼いたのか、或いはモノクロをカラーの何色かのモノトーンで焼いたのが褪色したのか。チラシによると、セピアトーンで纏めたとの事。
 貧しい家庭の中、能面作りの職人。出来栄えに擬人化した面に半裸女を見る。喫茶店にゆくと、不思議な鏡に写る、金の亡者の女客が、先の能面半裸女化してる。クラブに行くと、女性歌手に不遜なオーナーが性的凌辱の見せしめのショー。帰り路、自殺せんとしてる歌手を救い懇意となる。以下、能面や家庭や不遜オーナーらと行き来·介入しながらも、砂丘で女が宿命付けられた死に至る迄、主人公との深くあてどない彷徨が続いてく。互いを追い求め抗い、(追)埋葬をする。『砂の女』や、未完の部分だけを観た事がある·三國が遺作としたかった作、ばりの囲い敷き詰められたイメージの世界のようでもある。
 切返しや寄りと寄りのそれなりの叩き込み·フリーハンドでブレる不安定さあるも意欲的な長い移動やズームやパン·縦の構図やその後の大CUの目線と意識の送り·合成や二重焼きや照明の高度な力·繰返し現れ交錯するキャラやイメージ·室内や夜間や炎天下砂丘の底しれぬ造型、確かに不安定さも含め·挑戦的で意欲的だ。が、よりパーソナルを狙ったと言えばそれまでだが、表現者に某かの畏敬の念や親しみがある線を超える強烈さにならないのも確かで、ピンと筋金が入ってなく、当時でも興行にはきつかったろう。作家世界に入り込むのはいいが、他作ではもっとクールな異化効果を戦術として、刺激剤にしてた気がする。やり尽くした手応えはあるが。
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