四畳半ガールのび太

スタンド・バイ・ミーの四畳半ガールのび太のレビュー・感想・評価

スタンド・バイ・ミー(1986年製作の映画)
4.8
「子供でなくなるのはいつか?」
非常に難しい問である。答えを探すのではなく、なんとなく聞こえのいい相槌を探すのに終始してしまうような。しかし、ここでは敢えて僕なりの返事を記したいと思う。それは「大人であろうとすることをやめた時」だ。作中の主人公たちは確かにチンピラ大学生みたいなやつらより大人だった。それと同時に彼らはどこまでも子供であった。当然ながら子供になろうともせずに。
青春映画の金字塔とはよく言ったものである。全くその通りだ。これが名作でなければ一体何をマスターピースと呼べばいいのだろう。主人公は4人組の中では一般に大人だねと言われるような落ち着きを纏っている。彼をそうさせたのは兄の死だ。この作品において死とは自分ではどうしようもないもの、抗いがたいもの、不条理の象徴と描かれているように思う。不条理は否応なく人を成長させる。4人はそれぞれに悩みを抱えている。主人公の親友のガキ大将は、本当に自分の芯を持った人間だった。大人なのだ。彼は自分の家の悪さに苦しむ。この二人ともう二人にはどうしても壁があるように描かれていると感じた。その差を生み出すのは思考だ。どちらがよく、どちらが悪いわけではない。メガネの子は割ときちがいレベルにハッチャケるがそんな彼も父親が戦争で頭に傷を負った?ことを激しく悲しんでおり、自分も戦士となることを心から望んでいた。おデブちん。こいつは俺によくにてらぁ。臆病なんだよな。よく言えば常識人。こういう人って多いんじゃないだろうか。
これも80年代ってやつか。stranger thingsはこれに確かに影響を受けているというのも頷ける(あんなにべちゃべちゃ効果音とかの味付けされてないこっちのシンプルさの方が好きだけどな。てかstranger thingsと鬼滅の刃って似てるよな。)。終わりの歌がウェンザナイッって言ってるやつなのもいい。あとそれに合わせてoasisのStand by meも聴いてるけどいい曲やなこれ。日本っぽいw

とにかくスタンドバイミーは最高だ。いろんな作品にこの名前が与えられているのも頷けるけど、これを再現象しようとしても結局は偽物にしかならないと思うんだ。文句なしに好きな映画だって言える、観ながらいろんなことを考えてしまうような映画だ。台詞もひたすらにいい。はっとしてついメモってしまう。子供から大人へのその一歩の瞬間はかくも美しい。

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20231104 視聴2回目

明日の面接の整理のためという個人的な事情で再視聴。
初見でどんな印象を受けたか正確に思い出すことは難しいが、今見るとpussy関連でギョッとなる表現やアメリカの村社会のしんどさもかなり印象に残る。
とはいえ、やはりこの数日間で確実に彼らの何かは変わった。
子役として見ると信じられないくらいにあまりに演技がうますぎるとも思う。
脚本のシンプルさがこのノスタルジックさを際立たせてるのかもしれない。高校生?大学生?集団のAceあたりがヤバすぎるだろ、とも思うが、日本の田舎のヤンキー層考えると意外とこんなものかもしれない。

何より印象的なのが、結局この後、4人はいつまでも一緒にいる訳ではないというところだ。だからこそ、この一瞬、真っ直ぐに続く線路を横並びで共に歩けたことの奇跡さが際立つ。そしてそれがやはりラストの「I never had any friends later on like the ones I had when I was twelve. Jesus, does anyone?」に繋がるのだ。

今見てもメンバーの中でやばいやつはいるなと思う。そのヤバさが社会でのいわゆる成功とかキャリア的なものだとして。その後の世界が交わっていかないやつらが、それでも当時何かを共有しあえたことだけは確かであり、それはずっと自分の中で生き続ける。

初見では一夏の成長的なところに意識が向いたけど、今見るとむしろ交錯みたいなところに意識が向く。