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高原列車が走ったのニューランドのレビュー・感想・評価

高原列車が走った(1984年製作の映画)
3.1
✔🔸『高原に列車が走った』(3.1p)  及び🔸『生きては見たけれど 小津安二郎伝』(3.0p)🔸『青春かけおち篇』(2.9p)▶️▶️
 
 不勉強で知らない作家は、未来の才能見極め前、以外にも、故人となった人の中にもまだまだいる。個人的にはそういうのは魅力で、映画を観る度、これは映画史上最高傑作か、と思うを繰り返す。只、その時間は、多くは数十秒から長くても数分で消えるのだが。情報化社会となり、知人の年千数百本を観る人らでも、白紙で新鮮に観ることはなく、何らかのお墨付きや出演らの関心繋がりでしか観ない(アジアや辺境·大作家以外、情報過多で評価が揺らぐ米映画等は新作から評価が確定する数年後迄は観ない、今見ても指針が確定しないと観方がわからない)と言うが。
 『高原~』。処女作の発掘·評価が少し前、話題になったが仕事の合間の上映回がなくパスした作家。その後のキャリアはTVの子供向けのウエイトが多く、久し振りの劇場用作だったのが本作らしい。高飛車に実力拝見、と観てたが別に魅力を感じてくる。「国鉄」の時代で、衰亡は確実も、シビアな分化前で、投げやりの美談一花まだ可能と話を作れる時代、が実話でローカル線で民意がダイヤに反映され、子供らの為に増発成るストーリーの作。小諸~軽井沢間の、本数に問題の開きがあり、2~3時間を夜の街でぶらつき少年非行の温床にもの環境に、増発の運動·嘆願を続けてゆき、無力あしらいから昭和59年には六本増便に漕ぎ着ける迄の話で、高校教師~国鉄職員~父兄~地元住人らの組合·PTA·商工会らに拡がってゆき地方も活性化、臨時教員の音楽教師が赴任し始めた昭和55年のベース造りを特がに念入に描かれる。生徒らのそれに絡む現状·妊娠から学校抗争·反対の融和迄らが、特に新任ヒロインに開けっ広げ姿勢で掴まれてもゆき、猿廻し付き大集会にあるピークがある流れ。細かい現状·連携よりも、「宇宙人」と周りに称される美保とキャラの、生気煥発溌剌寸劇周りを反映ワンマンショーに見間違うような、へこたれない活力の生成現場の、ストーリーを超えた何かが見ものとなって来る。タッチも序盤はバイク·列車·中の通路·職員の集まりの、流れてく向きやどんでんらの方向押さえ絡みの巧み捌きから、単発·訳の分からないエピソード群大小羅列の果てない嵌め込みに移ってく。
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 『生きては~』。ヌーベルバーグの1員らしい鬱屈した荒々しさからスクエアな物書きへ·映画界関わりでは小津探究に威圧のない権威伝道者へ移っていった高橋の、日本でも庶民?レベルで小津ブームが本格化してきた頃の、体のいい入門書。「家族·親子の別れ·死別の、無常·寂しさ·孤独·無。本物向かい、強面避けるペーソス志向」と当たり前をじっくり、心地と品よく描いてるが、カット尻に割とズーム使用が多く、引用素材はかなり劣化したままのが多く、小津死後20年位の作だが、当時まだ健在or若いキャストやスタッフ·交友人らもだが、小津の兄妹らは80前後になってても元気で、安二郎だけが短命だったのか、と改めて残念。
 小津家の教育方針、それ以上に開放·生長の小津の三重時代が力あり、小津に一貫したものを迷わず導き出してく、高橋の腰の据え方にも力ある。戦中の作品と姿勢、カラーの直前期の野田も尾いてけないはみ出す迄の野心露わ、晩年カラー期のまだまだ可能性の予感、高橋は技法に嵌まらず、身近にいた者として、神格化より、あくまで映画共同体の馴染み·熟し方から、捉えてく。
 喜重の才気溢るる後の教育テレビ用連続番組らに比べると、生温さ満杯作だが、こういうのの方が懐かしさは伝わる。戦前から小津は映画に関心を持つ人には神様扱いだったが、’70年代に没後10年でリバイバル上映も始まり、海外でも遅れて公開も、その年のその国封切りベストワンを取り始め、ヌーベルバーグ派にもレネ·リヴェット以外も瞠目は拡がったが、世界的一般人レベルで、留まらない熱狂が始まったは、80年代以降か。個人的には全く通わなかったが、FCに人殺到·人気加熱は、自然に伝わってきた。
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 『青春~』は才能発見というより原典保持力を期待、あの懐かしき愛すべき『かけおち’83』を、何分の1かでもいい、この暑さの中清涼剤として再吟味したい、というだけでフラッと入る。しかし、演劇·TV·演じる事の境界点に触れたかのような、あの味わいは殆どサワリだけで、消されてる(ストーリーは同じでも)。
 大竹·流行·沖のトリオ(+列車と洋楽のせ)の後2人が凡庸な風間·田中に置き換えられた、ということよりも、‘映画的’な、消化のいい手法で覆い·細部固めと快適を狙った事で、本来の張り詰めや狂気が失われた。あの忘れ難い大竹の啖呵?は人知れずの独白となり(「女の10年はおのれの100年じゃぁ!」も無く)、それを風間が継いでセッションする風なのだ。全てに品よくおとなしく、核を失って纏まり感だけ。
 メリハリあるわかり易い台詞回しと、それを際立てるカッティング、(90°変)切返し·どんでん·全の縦や横図·呼応·動物的に動くカメラの縦他移動·それは場面を跨ぐ鋭さ持つ時も·舞台を超える拡がっても続く背景抽象的·いつ知れずの場や天候変移·小道具効果·トラウマ回想場面入れ·矢鱈と主張し顛末迄続ける濃い脇役の介入·何重もの期待と段取仕掛けての表面突飛行動·相槌連綿から嫌悪ウェイト増し、らがなにかの理不尽敷き詰めを都度絡み中断しあって、半端作に。つかは映画を意識してホンを浮つかせたか。
 実家工場に負目あって距離置く、30でフラフラしてる芽の出ぬカメラマンが、ズルズルくっついて可愛がられてる、居候から養子へと決めかけの複数高級レストラン経営家に、形だけの見合いの話が。その相手は10年純愛保ち育てきた、青年実業家大物31歳で、旧知を思い出した娘も親も、純粋さ·誠実さに動揺。相手を刺激、自分らの本音もハッキリさせる為の、実質意味ない駆落ちの敢行。
 ‘映画的’と囃される映画は、‘演劇的’と貶される作より、遥かに薄っぺらい事が多い事は事実だ。映画の歴史は浅い分、ここまで軽薄なのかとよく思う。ブレッソンやAマン·Nレイでも、拭いきれない不信感。ましてタルコフスキーやアンゲロプロス、黒澤や今·是枝か、ナンボのもんじゃ、と思うことがよくある。【翌日の書き加えー今分かったが、流行は’83では脇で、『嫁ぐ日’84』と混ぜて記憶してた。】
 オリジナルTV番組は40年近く前、西宮の友人宅に泊まった時に、総集編ビデオを見せられ、特に、それまで『青春の門』『事件』ら凡庸な映画でしか観てなかった、大竹の天才に初めて気付かされた(自殺した沖や流行も、本気度·狂気がまるで違う)。映画好きでもないその友人からは、他にも、(『紅い花』しか見てなかったのを『四季·ユートピアノ』からの真スタートの)佐々木昭一郎、(東映任侠や日活アクションを超えた)笠原=舛田の近現代·大日本帝国戦争ものの、真価を教わった。
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