デニロ

浜辺の女のデニロのレビュー・感想・評価

浜辺の女(1946年製作の映画)
3.0
シネマヴェーラ渋谷のチラシが、/戦争後遺症に苦しむ元軍人のロバート・ライアンが、盲目の画家の妻ジョーン・ベネットに出会う。不可解な会話や破綻したストーリーのため失敗作と酷評された一方、トリュフォーを始め多くの批評家に賞賛された。靄にけむる浜辺、降りしきる雨、カモメの鳴き声、燃える家…。不穏な雰囲気が漂う悪夢のような映像が忘れ難い孤高の傑作/、と謳っていたので、破綻したストーリーでありながら忘れがたい孤高の傑作とはどんなものか物好きらしく出掛けます。

夢なのか現なのか幻なのか、そんな冒頭の場面から始まる。海の中藻掻き苦しむ主人公ロバート・ライアンの前に伸びるあやかしの如き女の手。うなされて目覚めるロバート・ライアンのシーンが続く。彼はどうやら戦闘で心的外傷後ストレス障害となり、時折、不安定な態度を見せる。

ロバート・ライアンには婚約者がいて、近々結婚の予定。そんな時に知り合ったのが美貌の人妻ジョーン・ベネット。彼女の夫は眼の不自由な画家で、彼の眼を傷つけてしまったのは実に彼女の過失だった。ジョーン・ベネットはそんな負い目もあり夫に傅いているのだが、彼女の美しさに眼が眩んだロバート・ライアン如きの男を手玉に取るのはお手のもので、心身不安定の彼は彼女の思わせぶりな態度に翻弄させられ、夫の眼が見えぬというのも偽装ではないかと勝手に疑い、偽装を証明して見せるから俺とどうにかなってくれなどと言わせ、潤んだ瞳でいいわ、と。このいびつなトライアングルの中心であるジョーン・ベネットを運命の女として作品はプロデュースされたと思うのだが、ジャン・ルノワールは何故かロバート・ライアンと夫のチャールス・ビックフォードに意味不明の性格を付与している。細部を拵えていくとともに運命の女たるジョーン・ベネットが最も真っ当な人間となってしまう。

夫の眼が見えようが見えまいがもはやどうでもよく、とにかくジョーン・ベネットを手に入れんがためにわざわざ荒波の海にチャールス・ビックフォードを釣りに誘い面罵するロバート・ライアンを観ながら、このふたり何やってんだろうと思ったのはわたしだけではあるまい。

はて、ルノワールはこの作品をはじめから71分で纏めるつもりだったんだろうか。

あの冒頭の幻想的なあやかしのシーンに力瘤を入れていたけれど、あれは何なんだろうか。そしてまた、ラストシーンも途方に暮れるのです。

1947年製作。原作ミッチェル・ウィルスン。脚色マイケル・ホーガン。脚本ジャン・ルノワール、フランク・デイヴィス。監督ジャン・ルノワール。

シネマヴェーラ渋谷 ヌーヴェル・ヴァーグ前夜 にて
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