odyss

山びこ学校のodyssのレビュー・感想・評価

山びこ学校(1952年製作の映画)
4.0
【日頃の暮らしから教育を行う】

DVDにて鑑賞。
映像は特に最初のあたりで揺れがひどく、音声も全般的に不明瞭。デジタル技術での修復が望まれますし、それが無理なら字幕を付けてほしいところです。

昭和20年代半ば過ぎの山形県山間部の新制中学を舞台に、貧しい生徒たちとその教師の学校での毎日、そして日頃の暮らしなどを描いています。

新制中学。戦後間もない頃の学制改革で、それまでは五年制で義務ではなかった中学が、三年制で義務教育となりました。ただし従来の中学がそのまま新制中学となったのではなく、従来の中学(つまり旧制中学)は高校に格上げされ、三年制となったのです。

ですから新制中学は戦後の改革で新しく生まれた学校だった。(ただし従来も6年制の小学校を終えた後、中等学校には進まないけれど、すぐに社会に出るのは早すぎるということで2年制の高等小学校に行く生徒は少なくありませんでしたから、新制中学は旧制高等小学校が昇格したという見方もできます。)それだけ教師も試行錯誤する場面が多かったと考えられます。

冒頭の教室での授業。木村功の先生が出席をとるところから始まりますが、欠席者が少なくない。病気で休むのではなく、家の仕事を手伝わなくてはならないので学校に来れないのです。このように、義務教育でも学校に来れない生徒がそれなりにいて、また教師もその事情を分かっている。これは明治時代に近代的な学校制度が生み出されて以来、変わらずに続いていた問題でした。

舞台となっている地域は山間部で農地が狭く、林業や畜産などの兼業をしながら生活している人々。しかし収入は少なく、生活は楽ではありません。

お金の問題は、ですからこの映画の最初から最後まで前面に出てきています。貧しくて修学旅行に行けない生徒のために同級生たちが働いてお金を作る。貧乏のために首都圏に売られてしまう生徒もいる。

先生だって例外ではありません。月給が4千円弱、そのうち自分の本代や生徒のための雑誌代など色々引いて、実家には7百何十円しか入れていない。つまり5分の1ですね。実家はお寺ですが、檀家からのお金だけではやっていけないので農業もやっている。

木村功の先生はこういう事情を生徒の前で包み隠さず報告し、しかしそれをもとに自分の家庭のお金の問題を自分自身で考えるように仕向けます。

実際、学校の各種納入金だって生徒やその親にとっては負担だったのです。そういう事情を綴った作文も作中で紹介される。自分の貧乏を作文にすることで、社会の仕組みや世の中について考えさせようということです。

このように、この映画では学校の教育は自分や家庭の生活や経済事情と密接に結びつけられていますし、また木村功の先生もそれこそが教育の真のあり方だという信念を持っているのです。

時代は変わり、今の日本ではこのような田舎での農業人口はごく少数になっています。けれども、都市化が進んだ現代日本にあっても貧困の問題はなくなっていません。この映画のような教育を今の時代にそのまま実行に移すことは無理だとしても、教育を自分の生活事情と切り離さずに行うこと、生活を通して教育を行うこと、この大原則を現代人がこの映画から学ぶことはできるでありましょう。
odyss

odyss