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これがロシヤだ/カメラを持った男のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

4.8
【ソビエトロシアではカメラが貴方を止めない】
『死ぬまでに観たい映画1001本』掲載の伝説的実験映画『これがロシヤだ/カメラを持った男』を観ました。ゴダールが憧れ、映画製作グループの名前にも起用したジガ・ヴェルトフの代表作。映画館で映画を観る人を撮る、映画を撮る人を撮るというメタ的表現の重要作故、名前と一部のシーンは知っていたのですが全編フルでは初めてだったので挑戦したのですが、これが凄まじい映像の洪水でした。

今回観たのは、マイケル・ナイマンが音楽を手がけた2002年バージョンだったのですが、彼のトランスミュージックの効果もあって、ソ連プロパガンダに脳内に危ないものが刷り込まれそうになる恐怖と快感が全身を覆った。

合成で、巨大なカメラの上に男が乗る。まるで怪獣映画のようにそびえ立つカメラ。その時点でこの映画から凄まじいオーラが流れている。お客さんが映画館に入っていくと、逆再生で椅子がパタン、パタンと開いていく。ソビエトロシアでは、映画館が貴方に映画を魅せる。とでもいいたげに、含羞草逆回転パタン、パタンと開いていく椅子にお客さんが吸い込まれていくのだ。

そして狂ったような映像と、その撮影現場を交差させ、カメラ男はこの世界の全てをカメラに収めようとする。迫り来る大列車、人がゴミのようだ!と高層からまじまじと眼下の営みを捉えるショットといったマクロな光景があると思いきや、おばちゃんがリズム天国、太鼓の達人よろしく、リズミカルに箱を作っていく、軸が高速回転していくミクロな視点も捉えていく。そして、この《機械》の印象を与える珍作は、人間までも機械的に描くことで、産業社会、合理化によって人間までもが機械にされてしまう様を捉えている。

そして、このカメラ男には死角なんてないんだ!と撮って、撮って、撮りまくる。そこへマイケル・ナイマンのビートが波長となり、鼓動となり観る者の思考をねじ伏せようとする。暴力的な映像、しかしその暴力は良質な味を提供し、映画史上最高の毒薬となっていた。
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