三四郎

ゴールデン・ボーイの三四郎のレビュー・感想・評価

ゴールデン・ボーイ(1939年製作の映画)
4.4
※5年前の感想/レビュー漏れ
イタリア男の特徴は縮れ毛かぁ。リングでの拳闘シーン、ディゾルブ効果の連続で迫力と臨場感を出している。息子思いの父親、そして父親と家族思いの息子。
「カネが万能か 大切なのは志と心だ それがなくて何になる わからんか 頭で考えず心で感じろ それには音楽だ ヴァイオリンでこそお前は幸せになれる 夢が実現するんだ 自分を偽ってつまらん夢を追うな」

このシーンは上手いな。「この髪が嫌い?」「好きよ 女は縮れ毛に弱いの」…「あなたがわからない」「キミもだ 少女のような時もあれば 時には…」「時にはなに…?」バーバラ手を顎の下で組み、見つめ合う。「悲しそうに見える その目や口…手にも…」手を出させ、それに向けてセリフを言う一連の流れが自然で実にいい。「そんなふうに見ないで 私が遊んでる女と?」「いや違うよ 要するに…毎週水曜の夜 公園で音楽会がある 行かない?」夜のビル屋上、風、ネオン、この光景は、松竹映画『懐しのブルース』で観たのと同じ。
「車が蛍のようだ」っていい台詞だ!

黒人は良心の塊だな、よく描いてあるのが救いだね。虐げられてきたから、人の心の痛みがわかるのだ。クライマックス、誰もいない客席、ライトに照らされたリング、バーバラとの新しい未来への誓い、そしてそして家に帰って来て父親との抱擁…これは音楽効果の巧妙だ。役者の演技はもちろんだが、何と言っても音楽効果がクライマックスを最大限に盛り上げたと言える。
しかし、女心は魔物だね…刃物のように恐ろしい。私はこの物語を好きにはなれない…。役者よし、演出よし、セリフよし、ただ筋が気に入らない。人を殴り合うボクシングという格闘技と音楽、真反対のものを結びつけ、優しい青年を主人公にしているのはいいが、バーバラの役が非常に難しい。いやわかるのだ、彼女は情が厚い、義理人情の女性だ、しかし、しかしね、一人の音楽を、ヴァイオリンを愛する繊細な青年を傷つけ、父親を悲しませた罪は、いくらハッピーエンドだからといっても消えないんだよ。繊細な音楽を愛する青年を人殺しにしてしまったんだから。彼の拳は哀しいかなもうヴァイオリンで美しき音色を奏でる指にはならないんだよ。それは彼自身が一番よくわかっているし、音楽を少しかじった者からすればそれが痛いほどよくわかるのだ。こんなに楽観的にハッピーエンドにしてはいけない筋なのだ。彼はヴァイオリンを握るたびに、殴った感触を思い出すだろう…。バーバラ演じるヒロインが音楽ではなくボクシングをするように命令するとこがなんといっても欠陥だ。もっと違うヒロイン像を描くことができたはずだ。父親や家族と知り合った後、しかもゴールデンボーイが「向かないとわかったんだ 好きになれないのさ カネのために闘うのは屈辱だ 音楽の夢を捨てられない だからヴァイオリンを」「キミは僕の音楽だ 華やかで 優しくて 一日中僕の頭を離れずに 激しいリズムを響かせている」「闘いは性に合わない」と言っているのに、それにもかかわらず「闘え」と強いる。彼女はそれが彼と彼の家族の幸せにつながるとも考えていたのかもしれないが、あの父親と、家族に会った後にそんなこと言えないはずではなかろうか?しかも彼女自身、母親を亡くしてどん底から助けられた淋しい女性なのだから。いくらその前のシーンで、信じていたトムに青年を誘惑するように言われ、トムに幻滅したとしても自暴自棄になっていたとしてもこの展開はおかしい。だから好きになれない、この物語。

バーバラはいつもながら最高の美しさと魅惑でスタイル抜群容姿端麗だったが、役柄がどっちつかずといった感じだった。悪女にするならもっとファムファタールに近づければよかったのだ。そして最後に大改心に至るという方が良かった。監督の腕と脚本が悪いとしか言えぬ。最高の女優なのだからそのくらい演じられる!
それにしても、とっても美しかった…。
三四郎

三四郎