このレビューはネタバレを含みます
『モンスーン・ウェディング』のマイケル・ダナによるサウンド・トラックが好きだったことがきっかけでアトム・エゴヤンの作品に興味を持つようになり、日本でも公開された3本の映画のビデオを見てそのすばらしさに驚嘆したあと(個人的にはカンヌでグランプリを取った「スイート・ヒアアフター」が一番つまらなかった。あとの2本は本当に傑作。)心待ちにしていたこの映画を去年末に二度見ました。
優に3本の映画を撮れるほどの題材を詰め込んで少しも混乱することなく処理したこの映画は見事の一言です。ただ、一つのテーマをゆっくりと描いき、結論を出さなくても作品そのものが予定調和の世界の中にあることが提示されて終わる『エキゾチカ』や『フェリシア』と較べて、映画で提示されたことを観客が消化しきれないうちに足早に結論を提示してしまっているようなこの映画のラストには少し不満が残りました。特に、ゴーキーの絵にまつわるエピソードに関してはきっちりと結論を出すことなく宙づりにしておいても良かったような気がします。
ちなみにこの映画と「スイート・ヒアアフター」だけを見るとエゴヤンは一貫して重苦しい世界を知的になおかつ重厚に描く作家という印象を持ってしまうかもしれませんが、それだけではありません。現実の苦しさから全く目をそらしていないのにも関わらず、あえて映像で語らなくても、つねに何かしら現実的な救いが映画のラストでは例外なしに暗示されて終わる、天性と言っても良いような楽天性がこの監督の映画の一番の魅力です。
いっぽう、ラフィーの家族を巡る物語の造形は見事で、非常にリアリティーがありました。この映画の一番切実なテーマは「すでになくなってしまった故国の為に家族を捨ててテロ行為に走った父の行動を家族がどう受容するか」ということで、この点に関する答えが曖昧であることがこの映画が説得力を欠いてしまった一番の原因なのでしょう。しかし、そもそもこれは答えを出せるような命題ではありません。アルメニア人の父の不在が家族に与える痛みを驚くべき忍耐力で妻と息子はずっと静かに耐え続けるのですが、フランス系カナダ人とおぼしき二番目の夫とその娘は、本来自分たちのものではなかったはずのその苦痛にストレートに反応して混乱しているようにも見えます。この辺の家族の中の人間関係には充分な説得力と普遍性があり大変面白く感じました。
二番目の夫の連れ子の娘と息子という血のつながらない兄妹が恋愛関係にあるというのは物語に神話的な色彩を加えるための演出ではないかと思いました。
(一応民族の物語ですから・・・)
最後に問題になるのがアルメニア人の虐殺を語った大作映画なのですが、映画の中でのこの映画の評価以前に驚かされたのはあえてストレートな形で作らなかった大作の表現力のすばらしさ、たった数分の虐殺場面の驚異的な効率の良さです。
「マジに本気(Mの隠し玉さん)」どころかトータルでもおそらく15分にも満たず、殺された演技をするエキストラの数も40人にも満たないであろうし、描写もかなり控えめな虐殺場面の残虐性は今まで見たどんな映画にもまして目を覆いたくなるほど残酷に感じられましたし、現実社会における虐殺事件についての評価に関する作者のスタンスも驚くほど冷静。それだけに虐殺そのものが歴史上の事実として認められるに至っていないことの重さが実に切実に感じられます。
(傲慢と言えば確かにその通りですが、実際資金を募って真面目に大作に取り組んだら本当にすごいものを作れるだけの力量はありそうですね。オペラの演出も手がけるそうですし・・・)
さらに驚くべきことはこの映画の上映時間が2時間を切っていること。そしてそれにも関わらず語るべきことを必要以上にきっちり語ってしまっていること。
最初にも述べたようにあまりにもきっちりとテーマを語りすぎる解釈の曖昧さを許さない手際の良さに不満は残るのですが、それでもあまりあるほどこの映画は素晴らしい。
表現しすぎる部分を消化するのに疲れてしまったこと、ラストにかなり不満が残るとはいえ、この監督の表現力は去年見た映画の中では群を抜いていて、しかもいつもよりオーソドックスな造り。構成や技術面だけでも★6つつけてもお釣りがくると思いますので、それマイナス★一つと言うことで満点にします。
このように希有な才能のある映画作家にとって、映画を作る上での課題は「どう撮るか」ではなく、「あふれるほど浮かび出てくるアイデアのどの部分を捨てるか」というレベルになってしまうのでしょうね。
好き嫌いはともかく誰もが一度は見る必要がある映画だと思います。
(初公開時劇場鑑賞)