四畳半ガールのび太

ニュー・シネマ・パラダイスの四畳半ガールのび太のレビュー・感想・評価

3.9
「人は老いるし、全てのことは変わっていくけど、だからこそ良いよね」みたいなことを言いたいんだと解釈しました。
うーん、どうなんだろう難しいなあ。ハタチそこそこの今よりも、郷土に対するノスタルジックとかそういうものを実感として深く認識できるぐらいに年をとってからの方が味わい深いんだろうなと思いました。

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主人公が小さい時もアルフレードは映画の映写室から出ていけと言い、青年になった時もこの村から出ていけと言う。幼少期はそれでも結局映写室に通うことになるが、大人になってからは飛行機で一時間のところにあっても30年間も戻ることはない。僕はこの「出ていけ」というアドバイスを言っているのが、映写室という"檻"とも取れる場所から、色んな人生を映し出す映画というものを、誰がどんな台詞を言ったか覚えて日常生活で引用できてしまうぐらい観続けて一生を過ごした男が言っているという事実が肝なのかなとなんとなくですが感じました。
同じ村にいるよりも、実際の広い世界に出て、その村のことさえ忘れるぐらい世の中を付き合う(女の人と付き合う、悲喜交交の出来事を体験する、色んな景色と世界中で出会う)という経験を経てこそ、村の中で変わっていくことと変わらないものが見えてくるんだということをアルフレードは伝えたかったのだろうか。村で色んな人は年をとるし、映画館はなくなる。それでも「私の広場だ」と言い続ける男は広場で同じことを言ってるし、顔見知りのおじさんたちも母親も自分を受け入れてくれる。

まあでもそういうことを抜きにしても、前半の主人公が可愛すぎて、この映画を嫌いと言う人はいないでしょう、え、そうだよね?笑
素晴らしい演技だと思った。おれたちが失くしてしまったものとぼんやり感じるようなものをひたすら体現していて、最高だと思う。

考えた点
・やはり無音というか台詞がない部分が素晴らしい作品は素晴らしいなと思った。ここは本当に漫画と共通点だと思う。
・主人公が幼少期から青年期に切り替わる切り替え方がおしゃれ。その切り替えの間に省略されている部分を描いているのが『スタンドバイミー』なのかなと思ったり。
・映画館が立て替えられることは結局村の人々にとって何なのか?変わる点としては今までカットされていたシーンが映るようになる。でも人々は黙って映画を観るようになるわけではないし、今まで下の階に唾を吐いていた男はやっぱり唾を吐いてる。顔に何か投げつけられるけど。色んなものが変わっていく過程の一つとして捉えるべきか。
・青年期のエレナとの恋愛は特別なものと言うよりも『青年期』を構成する一つの要素として捉えるべき?つまり、彼女自体に一生をかけて想いを伝えたいと言うようないわゆる映画的な恋愛ではなく、誰もが通過する初恋とかそういう形式的・象徴的な人生のスパイスの一つ。
・アルフレードが主人公に伝えた、王女のもとに通ったけど最後の日に自分から立ち去った兵士の心とは?主人公も年が変わるタイミングで窓が開かず諦めるのかと思ったら、結局えれなと結ばれる。
・とにかく最後アルフレードが海岸で主人公に村を去るよう諭すシーンの一言一句から、村に戻ってきて母親が主人公に語りかけるシーンの一言一句は繰り返しみたい、でも一回みた直後の今は観ない。また忘れた頃に観よ。

他の人はどういうことを思うんだろう。