イスケ

ビフォア・サンセットのイスケのネタバレレビュー・内容・結末

ビフォア・サンセット(2004年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

他人事とは思えないほどに、再会が嬉しくて、別れが近づくと焦りで気持ちが渋滞する。

映画の中に入って素敵な体験をしている感が強く、素晴らしい続編です。


「私、変わった?」

そんな風に聞かれたら、自分はどう答えるんだろうな。
ジェシーの気持ちでセリーヌを見つめてしまう自分がいるというw

そりゃ見た目は当時よりは少しだけ歳を重ねてる。でもめちゃくちゃ魅力的。やっぱり変わらない。
どの順番でどう伝えれば良いのか分からずに、少しだけうまいことを言おうとして失敗しそうな気もする。



前作のラストと地続きのように、街と人の映像から始まるのも好き。
街は今そこに確かに存在しているけれど、通り過ぎる人それぞれによって、同じものや同じ場所でも感じ方が異なるもの。

「僕の人生を客観的に見れば平凡そのもの。
 でも僕の主観で見れば、十分ドラマチックです。」

「他人の記憶の中の違う自分を見てるよう。」

どちらも序盤にジェシーとセリーヌが、あの日を描いた書籍について語った言葉だけれど、二人の言葉は根底では同じ意味合いだと思った。

自分が知っている自分と、誰かの目を通した自分は、同じ人物だけど違う人物でもある。
セックスしたかしてないか、お墓か公園か、大切で特別な記憶ですら曖昧だし、時間が経てば経つほど記憶は形を変えていく。(のちにセリーヌは「本当は覚えていた」とは言うのだが果たして)

やっぱり人間にとっては真実を知ることよりも、どう意味を付けるのかの方が、人生の豊かさを左右するんじゃないかと思った。

セリーヌにとっては、あの日のジェシーのひげに赤毛が混じっていたという極めて小さなことですら、今の自分が失ってしまった純粋さの象徴だったわけですからね。



「今日の再会で12月16日の想い出も変わるかも」

というセリーヌの言葉は、自分もよく考えることなので共感しました。

全ては上書きされていくもの。
おしどり夫婦が熟年することもあれば、しばらく疎遠だったにも関わらず、人生も終わりを迎える頃に再び絆が生まれることもある。

結局、自分がこの世を去る時にどう思っているか。どう意味づけされているか。それが大部分を占めると思うのです。

セリーヌがしきりに言う「老婆が過去を振り返る」という視点は、「最終的な解釈で上書きされる」ことのメタファーでもあるのかなと。


恋人という関係だけが特別なわけではない。

あの日、電話番号を交換しないという若気の至りを犯し、さらに12月16日に彼女が来れなかったことが、結果的にこの恋を幻想というオブラートで包み込み、二人に幸せな膜を与えてくれているかもしれないですよね。


この9年間のジェシーとセリーヌは、あまりに特別だった過去に縛られるあまり、「今を生きる」ことから遠ざかっていました。

二人の特別な関係に美しさを感じる一方で、やはり本来的には、今を生きることが出来ていない状況は、二人にとって不幸なことだ思います。

でもそれすら、老婆がOKを出せば、美しいメモリーとして永遠の眠りにつくこともできるのでしょうね。
そこはジェシーとセリーヌにしか分からないことです。

今が大切で、毎日が最後。
まだまだ若い自分は、そんな先のことよりも「瞬間の尊さ」を大切にしなくては。



ただのちょっとしたワルツ。良かった。

「あなたの歌だと思った?バカね」と言われた時のちょっと傷ついたようなジェシーの顔が、少年みたいで魅力的なんだよなぁ。
イスケ

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