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サタデー・ナイト・フィーバーのnetfilmsのレビュー・感想・評価

3.7
 猫も杓子もディスコ・ミュージックに併せ、精いっぱいおしゃれしてキラキラなミラーボールの下で男も女も同じリズム、同じ振り付けで踊る。まさに狂乱の時代だった1970年代後半の空気を真空パックしたような凄まじい映画だ。ディスコの起源は諸説あるにしても大方の説はディスコの12inchがプロモ用に全米各地のディスコに撒かれた74年くらいで、72年頃には先んじてフィリー・ソウルの12inchのリリースが始まったのだ。そうして生まれたディスコの熱が74年当時はアンダーグラウンドだったものがオーバーグラウンドに浮上するのにそれ程時間はかからなかった。Van McCoyの『Hustle』のアメリカでのヒットが75年だから、そこから数年で一度ディスコのピークタイムが来ることが予想出来た。つまり誰が最初にディスコ映画を手掛けるかの時代に、この『サタデーナイト・フィーバー』はやって来たのだ。ROLLING STONESやKISSやROD STEWARTまでがディスコ・ソングを作り出した70年代後半の空気に今作が与えた影響は計り知れない。日本でも盛り場は連日連夜ディスコ・ミュージックで盛り上がり、BEE GEES世界が手掛けたサントラが世界中で大ヒットを飛ばした。70年代後半とはそんな時代だった。

 生地が薄々でテッカテカのポリエステルのシャツを着て、ピザ2切れを頬張りながら町中を闊歩する若き日のジョン・トラボルタの姿が、当時の若者にとってはある種のロール・モデルだった。貧しいイタリア系の移民として生まれたトニーは、昼はペンキ屋で愛嬌溢れる店員として働きながら、土曜の夜になると精いっぱいのオシャレをしてナイトクラブへと繰り出す。当時のニューヨークは黒人、ヒスパニック系、白人と人種のるつぼで、セクシュアリティ的にも様々な最先端の人々が集うクールな場所だったのだ。トニーは「2001オデッセイ」で文字通り、平日の鬱屈した感情を煌びやかな電飾とBPM120のリズムで洗い流す。貧しいながら敬虔なカトリックの家では信仰だけが家族の拠り所であり、牧師になるためにほとんど家に帰ってこない兄を英雄視している。次男坊のトニーの行儀の悪さは全て長男の存在が免罪符とされるのだが、皮肉にも長男は親が敷いたレールの上を歩くことすら出来ない。兄がミラーボールの中で見つめた弟の唯一の特技は、兄にとっては何よりも輝いて眩しい。然しながらナイトクラブでの英雄は、上流社会で育ったステファニー(カレン・リー・ゴーニー)を前にすればまるで歯が立たない。移民で19歳の若者の焦燥感がこれでもかと伝わるが、今振り返ると貧しくとも思春期にニューヨークの空気を存分に吸ったトニーの姿がただひたすら眩しい。青春期の成長と挫折、栄光と堕落、高飛車なステフよりもトニーがあのヴェラザノ・ナローズ橋のようにのし上がる成功物語は『ステイン・アライブ』へと続く。
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