映画漬廃人伊波興一

2/デュオの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

2/デュオ(1997年製作の映画)
4.1
二度と戻っては来ない、と思っていた同棲していた恋人が気が付けば玄関の入り口に立っている。
ただそれだけのことなのに野心的な犯罪映画でも観ていたような錯覚に陥る物騒な映画。
それが諏訪敦彦「2/デュオ」です。

始めから終わりまで一つの凶暴な指が引き金に添えられていて、ほんの些細なきっかけで暴発しても不思議ではないという厳しい宙づり状態を強いられるような感覚でありながら、この作品は視覚的なスペクタルなど微塵もありません。
ですが持続的に反復していく不思議な緊張度。コレは何なのか?

あのふたり一触即発だぞ。そのうちどちらかが刺されるな、今のうちに何とかしておいた方がいいんじゃないのか?とばっちりはご免だな。
そんな生起可能な犯罪の目撃者にも似た思い。

全編の殆どが西島秀俊と柳愛里の二人芝居で占められる作品ですが、数多のメロドラマのように男のちょっとした浮気心と感傷的な後悔でも介入させればいくらでも誘発できそうな(葛藤)というものがありません。
にも拘らず、犯罪映画のような緊張を呈するのは二人の間にある(分かっていたようで実は何も分かってなかった)という曖昧さに由来します。
だから柳愛里は西島秀俊のプロポーズをきっかけに、そんな曖昧さに苛立つような理解不能ともいえる行動に走る。

観ている私たちも、彼女の行方を追う西島秀俊に対して何かを解決すれば何かが絶たれる、という希望的観測など微塵も持ちあわすことは出来ない。
そもそも何を解決してよいのか自体が曖昧なのだから。

(曖昧さ)という地獄が映画の進行につれてひたすら二人に陰鬱な表情を与える事になるわけですが、そんな陰鬱さに彩られた柳愛里が確信犯的に美しく見えるところに諏訪敦彦の凶暴さが顔をのぞかせているというべきでしょう。
傷つけ、翻弄する事が愛の形であるとでも言わんばかりに。

恋愛映画の型をとりながら、思いもかけぬ瞬間に拳銃が発射される期待と畏れによって語られる犯罪映画的な力強さを醸す禍々(まがまが)しさが漲(みなぎ)っております。