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サンシャイン2057のヒデオのネタバレレビュー・内容・結末

サンシャイン2057(2007年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

個人的に僕この映画が好きでして、なんでかっていうと、いわば「ポエティックなSFホラー」的な趣きがあるんです。
趣き、としたのには理由があって、この映画の良さは言語化しづらいのです。すなわち人間や自然についての根源的な感覚や情感、あるいは摂理、力学のようなものを、感覚的に伝える手段として、だからこのフィクショナルなセッティング(この映画の宇宙空間や太陽、「キューブ」の特殊な密室)なんだ、という「実感」こそが、この映画の良さだと思うんですね。

つまり感覚的なので、合わない人は合わない!笑 それでいいと思います。

個人的にはSF的なセッティングの中に、心にグッとくる何か詩情を含んだシークエンスがあり、そしてなんか怖いぞという要素が折り重なってとても味わい深いのです。

この作品の中で、何度みてもやっぱりいいなあと思うのは次のいくつか。

1.太陽とそれに「魅せられていく」描写(ポエティック)
セリフにも出てくるのですが、太陽に向かっていくミッションにおいて、「太陽には(限定的な方法でしか)接近できない」もしくは「片道=生きて帰れない」という要素が示されます。唯一宇宙船のサンルームでそれをみることができるのですが、「触れたいけれど永遠に触れることができない存在」に対する畏怖、切なさにも似た羨望が、根源的に人間にはあるのではないかと感じるようなシークエンスです。そこで、この物語は太陽再燃による人類救出ミッション系「アルマゲドン」である、というエンタメの観方だけでなく、ヒトの手が届かない自然、宇宙の美に対しての憧れと科学の対立、という観方ができるようになります。


2.狂気のカットイン(ホラー)
 これはおそらく「イベントホライゾン」のオマージュじゃないか、と思うのですがある場所へ入室するとサブリミナルな信号のように、過去のイメージが重なるようにまざるシーンがあり、その映像の割り込み方が、のちの狂気を予感させる不自然さ気味悪さを孕んでいて、「おやこれはなんか気持ち悪いぞ」という尾を引く印象を残します。(時間にして0.2,3秒なのにずっと忘れませんw)この辺の狙い方は見事だなと思います。心理的描写が多いことも、単純にミッション成功するの?しないの?を描いてるわけではなく、人の内部にある何かを、描きたいのではないかという感じがします。

3.敵の存在(SF/象徴的存在爆笑)
これはもうお約束というか、2001年宇宙の旅に出てくる「部屋」みたいなものでして、「なんでやねん」と、何度もツッコミ入れたくなる対立する存在が、ある種可愛いというか、もうこれはまあ納得感とかではなく一旦受け入れよう、という感じです。笑

ただし、1で描かれる「根源的な欲望」のダークサイドとしてそれは描かれています。触れることさえできない神のような存在を崇め続け、ついには羨望が同一化したいという欲に変わり、肉体的にその影響を克服した(と勘違いした)者として、敵の存在が描かれている。

これは人類が科学をして、自然に打ち勝とうとするストーリーとしてこの映画を観るのであれば、人類側に現れて幾度となくその過程においていつも「(個人の)信条の盲信者」として邪魔をし、人類全体を打ち滅ぼさんとする存在なのではないでしょうか。社会vs妄執的な個人。人類の進歩vsその否定、という構図に見えます。

触れえぬ美しさに囚われ、自分がさもその存在以上になった、とでもいうように、世界を自分の主観で見て、人類は滅亡してもいいという。その傲慢ぶりはラスボスにふさわしい。。けどなんで死なねえの?みたいなツッコミが登場からすごーくたくさん自然に出てしまいますwそれはもうラスボスだからでいいでしょう。

ただ、こういう存在ていませんかね。人類を滅ぼしかねない、とまでスケールは広げられないかもしれない。飛躍しすぎるかもしれないけれど、自らの信じるもの以外全てがどうなろうと構わない、という傲慢さ。それは文字通り他人の命だって食いますよ。しぶとい。

それに対して。命を捨てた片道切符でも、家族と他者多くの人々のために最後まで諦めない行為のどちらが勝つのか。その結末を描きたくて、一癖ある寓話の形になってしまってはいる様相だけれど、僕にとってはとっても素敵な映画だと思いました。

ps ラスボスはなんでやねん。
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