幼い頃に兄との絆を引き裂かれたヨンヒにとって愛しき姪っ子ソナは自身の幼少期の生き写しであり弔い合戦の意味合いもあるのでは?と思ってしまうが、そんな彼女との関係性が自身の映画が国際的な評価を得る事で再び引き裂かれしまう残酷さ。前作同様穏やかな雰囲気の根底にはやはり大きな絶望と絶対的な怒りが流れ続け、それが拉致家族との同一化によって一気に噴出してくる。ただ彼女の怒りは宙を漂うばかりで行き着く先はなく、それを受け止めるべき父親も病に倒れ失意のうちにこの世を去る。学力を身につける事は可能であっても生活習慣はそうもいかない、と言うのがソナの食事風景に現れる、ただそれでも北では富裕層に位置するであろう暮らしぶり、近くて遠い国の実情をまざまざと知る。日本生まれで北の教育を受けた韓国国籍の漂流するアイデンティティ、気がかりは今日のソナであろうが、それがカメラに収められることはもう無いのかもしれない。