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気狂いピエロのmasatのレビュー・感想・評価

気狂いピエロ(1965年製作の映画)
2.5
『女は女である』『軽蔑』もそうだったが、カラー作品になると、急にキバり、どやカラーで迫ってくるのが、いま観ると何とも恥ずかしいほどに露骨で壮観。
やり過ぎなくらいドヤ顔のゴダールが、この時は居たんですな。

「映画は戦場だ!」とお馴染みな名セリフを振り回すサミュエル・フラーのゲスト出演はスパイスだが、かつてのフリッツ・ラングの迫力には敵わない。

女は魔性、触れてはならず。
でも、ヤッちまうオレは“最低だ”。
こんな単純な男の性を、ここまで単純に追い詰めていたのか!?ゴダール!!といま観ると驚かなくもない。
こんな男の夢想と独り善がりなロマンが、自己満足としてそっぽを向かれず、むしろ世界的に共感を呼んだのは、対する女、その演技者の威力による。その自由奔放で可憐な魔性の愛らしさ、愛おしさは、これこそゴダール自身の技なのだろうか?
しかも、テメェの女、なのである。
特にこの一人目の女の時代が、映画史をも変えた、と言われるのである。
アンナ・カリーナは煌めいている。
そして、ラウル・クタールのカメラの貢献度はハンパない。白黒もカラーも、コントラストの強いカメラが映し撮る
“彼女たち”
は、永遠にカッコ良いのであった。
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