コミヤ

許されざる者のコミヤのレビュー・感想・評価

許されざる者(1992年製作の映画)
4.7
2回目。
セルジオ・レオーネのドル箱3部作観賞後すぐに観たからか、本作の多面的な語り口に対する味わい深さが半端なかった。イーストウッドが軽く引くぐらい人命軽視的なキャラクターとして描かれたドル箱3部から考えると、本作はその時期のイーストウッドへの落とし前を付けるための作品だったように感じる。
本作でイーストウッドは、結婚をきっかけに過去の残虐行為や粗暴な振る舞いを反省した人物として登場する。中盤まで彼は「俺は昔とは違う」と何度も言う。それは過去の作品のキャラクターに限らず、女性関係で問題の多かったイーストウッド本人の過去とも対応しているのかもしれない。
本作の彼はドル箱3部作と異なり、弾は当たらないし、乗馬にも手こずる老いた賞金稼ぎとして描かれる。そんな彼が、かつての残虐性に戻らざるを得なくなった合図として描かれる"飲酒"描写を観て、久しぶりに純粋な映像のみによって鳥肌がたった。
自分のしでかした過去の罪は事実として変えることができない。生きていれば自らの行動に対して常に責任が伴う。イーストウッドに限らず、殺しを雇った娼婦、そして彼を誘ったキッドにせよ、皆が自身の行動とその結果に対しての責任を負ったような表情を浮かべる描写があった。
どんな形であれ、事実として変えることのできない過去という罪を背負った許されざる者であるのは誰だって同じだ。
そのことを認識した上で生きることを選ぶように描かれるラストは、イーストウッドの自己受容と戒めのように映った。
また、作中で何度も"嘘"や"勘違い"が描かれるが、それは人間という存在とその善悪の多面性について言及しているようだった。

オールタイムベスト級ですわ…
コミヤ

コミヤ