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草ぶきの学校
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『草ぶきの学校』に投稿された感想・評価

ichita
3.0
文革の影響がじわじわと…という当時の中国の農村の話しかと思ってたら、原作者の自伝らしく小さな農村の小さな学校での日常、という感じ。

役者ではない子供達の自然な演技が良いです。

ラストは「えええ⁉︎」ってなりますけどね。
草ぶき屋根の家、川には渡し船に風車。あまりに美しくのどかな田舎の風景はまるでテーマパークみたい。作り物かと思ってしまうほど完璧な田舎の美しさがあった。文革前のゆるい時代にのびやかに育つ少年の在りし日の思い出を汗と涙たっぷりに描く。

少女への淡い恋心は可愛らしく、髪の毛が生えない少年のエピソードはじんとくる。親の事情で学校に通えなくなった同級生をなんとかして助けようとしたり、学校の先生の恋のキューピッドに奔走したり、一生懸命なサンサンがかわいらしい。子供たちはみんな俳優ではなく村の子供とのこと。素朴ながらみんなしっかり演技していて偉い!

病気をしたときの親の優しさが嬉しくて、ずっと治らないでほしいと思う気持ちが懐かしい。文革前だからかみんなで映画を観る場面もあった😊
原作の児童文学はベストセラーになったらしい。

ただ少年時代の思い出を詰め込みすぎて、1つ1つのシークエンスを味わう暇がなかったのが残念。

ラストは思わず吹き出してしまった。映画館ならきっと笑いが出ていたと思う。
最高のユーモアで締めくくるラストで評価もアップ。笑顔で終わる映画は良いね。
3.8
「草ぶきの学校」

〜最初に一言、文化大革命以前の田舎の小学校を舞台に病を克服するまでの奇跡の物語を追った中国映画で、岩波ホールが上映する中国映画はどれも素晴らしいものが多い。子供たちの感受性豊かな、大人たちの優しさ、風光明媚な土地柄で映された感動的な教育現場。学歴社会の今日に至って改めて見る必要のある大切な事柄が描かれた秀作である〜

冒頭、政変の荒波に飲まれる以前の一九六二年。豊かな水源、土地、中国太湖のほとりの農村。禿頭、陰のある少女、裕福な少年、校長の息子。体操大会、病気、火事、共同体、村人。今、少年のノスタルジーが描かれる…本作はシュイ・コン監督による一九九九年の中国映画で、大人には見えない少年の目で描かれた純粋な心を写した傑作で、モスクワ映画祭で確か何かの賞を受賞したと記憶している映画「少年H」の著者である、妹尾河童氏が号泣したと大絶賛した映画であり、この度DVDを購入して初鑑賞したが非常に素晴らしかった。YouTubeで中国映画特集をするために買って観たのだが、岩波ホール創立三十五周年記念作品かつ日中国交正常化三十周年記念作品で文部科学省選定の映画である。

原作は中国の人気作家、ツァオ・ウェンシュエンが九十七年に発表したベストセラー小説"草房子"である。著者の少年時代の思い出をベースに、九章、七つの物語で構成された時点的小説である。映画化の申し出が集中したが、最終的に故郷に近い南京撮影所の実力派コン監督が手掛けることになったそうだ。監督は日本では未紹介だったが、子供の演技指導では右に出るものはないと言われ、国内では数々の名作で知られていた。映画化にあたっては、原作者自身が学生たちにアンケートをとり、特に人気の高かった五つのエピソードを選び、自ら脚本を執筆したそうだ。子供たちは演技経験のない小学生を全員地元で選ばれたそうだ。父親はベテラン俳優である。さて、ここから物語を話したいと思う。



さて、物語は文化大革命以前の一九六二年。豊かな水源に肥沃な土地。自然条件に恵まれた中国太湖のほとりの農村で、自由にのびのびと少年時代を過ごしたサンサン。大人になり、少年時代を振り返るとき、切ない旋律とともに小さな物語たちが蘇る。サンサンの通うヨウマーティ小学校は草ぶきの屋根だった。遠くから見ると屋根は金色に輝いていた。村に初めて小学校が建つと言うので、大人たちが張り切って良い草で作ったのだ。通うといっても、学校と家は同じ敷地内。父はこの学校の校長で、サンサンにもいつも先生としての顔しか見せず、厳しかった。隣村から女の子が通ってくることになった。名前はジーユエ。ちょっと陰のある女の子で、おばあさんと二人暮らしだ。わざわざ遠くの学校に来るのは、何か事情があるらしい。

父はジーユエにいろいろと配慮していたが、しまいには校長の隠し子と言う噂まで流れだす。ある日、おばあちゃんが亡くなり、ジーユエは学校に来なくなった。クラスのルー・ホーは禿頭。身長が高く、みんなにハゲつると呼ばれている。先生たちは行事のたびに彼の頭を隠そうとしたが、ルーホーは堂々と頭をさらけ出す。体操コンクールでは帽子を強要する先生に反抗して、学校のメンツをつぶしてしまう。だが、演芸大会では、彼はみんなが嫌がるはげの軍人役をかってでてくれた。ヨウマーティ小学校は大成功を収め、サンサンにはルーホーが眩しく見えた。担任のチアン先生は笛が上手だった。ある時から、その音色がとても悲しく響くようになる。先生が美しいパイ・チュエに恋をしていたが、彼女の父に反対されて会うこともできないのだった。

サンサンはチアン先生とチュエの手紙のやりとりを手伝った。優等生トゥ・シャオカンの言えば村ー番の裕福な家で、彼は新品の自転車で登校してはみんなに見せびらかしている。はじめサンサンはシャオカンをよく知らずに嫌っていた。だが、二人で起こした火事の罪を、シャオカンは一人でかぶり、全校生徒の前で名乗り出る。サンサンはシャオカンの勇気を尊敬したが、自分の意気地のなさに深く傷つく。そのうち、シャオカンの父親が病気になってトゥ家は没落し、学校にも来れなくなった。シャオカンは家計を助けるためにアヒルを買い始めたがうまく行かず、心労がもとで父親は亡くなった。ついには校門の前で駄菓子や現具を売っていた。

サンサンは父の大切にしていたノートに教科書を書き写して、シャオカンにあげようとする。訳を知らない父はサンサンを叱りつけた。サンサンは奇病にかかってしまい、医者は手の施しようがないと言う。父は薬を求めて息子を背負ってどこまでも行った。父は息子を救いたい一心で、校長先生の顔をかなぐり捨てていた。息子が朦朧とした意識の中で父の温かい背中を感じ、いつまでもこのままでいたいと思った。父の背中に揺られ、やっと着いた遠くの街で、一人の老人が特別な薬の処方を教えてくれた。薬ができるのを待つ間に、サンサンはジーユエを見かける。父親に手を引かれて幸せそうに歩いていた。皆は高熱が見せた幻だと言うが…とがっつり説明するとこんな感じで、江蘇省蘇州の太湖に浮かぶ小さな島に、大掛かりな草ぶきの家を建てて行われた心温まるノスタルジックな作品である。



いゃ〜、今回初めて見たが、正直期待以上の作品ではなかった(もっと生徒と教員の交流や、勉強の場面などを入れて欲しかった)が良作である事は間違いない。この作品の良いところは、人々の追憶の中から生まれたことで、要するに誰しも貧しい頃でも子供の時代の時と言うのは、家族や友達に囲まれて幸福だったため、決して厳しい生活と感じていないのだ。それらを大人になって淡々と語る主人公のナレーションとともに幼い頃の出来事が映像として我々観客に写し出される本作は非常に感受性豊かで子供たちに見せたい映画である。大人の私たちからすればノスタルジックな作風である。この作品にも転校生の美しい少女が出てくるのだが、皆の小学校の時の記憶はどうだろうか、男女かかわらずに転校生が来ると言うことに遭遇する確率は結構あると思う(私自身は逆に転校生側だったし、転校生も現れた)。そして中国独特(地域独特かもしれないが)草ぶき屋根の校舎で勉強したあの頃の日々、友人の新品の自転車に感動した瞬間、そっと耳に残る悲しい笛の音、父の背中のぬくもり…この主人公のそういった思い出が蘇り展開していく話だ。


草葺屋根と言えば先日見たばかりの陳凱歌の「子供たちの王様」を思い出す。その映画も農村のど田舎の学校を舞台に描かれていたが、草葺だった。今作の学校のシンボリックのように扱われている毛沢東の肖像画が繰り返し画面に映るのと文革時代に若者たちが首に巻いていた赤いスカーフが小学生たちにも使用されているのは、文革以前の話だが、このような事柄が既に起こっていたのだろうか?少しばかり気になる。文化大革命以前の六十二年の農村を舞台に、校長を父に持つ少年の目を通していくつかの物語が語られ、様々な境遇に置かれた子供や大人たちが映し出され、大自然の中の学校生活に、友情の深さ、家族の情愛、誰もが経験した子供時代の甘さとほろ苦い思い出が淡々と陽光の中写し出され、非常に中国的な感動を与えてくれる。村の日常の出来事が少年の視線で捉えられる映画と言うのは山のようにあるが、とりわけ中国の貧しい農村地帯を舞台にした少年たちもしくは少女たちの眼差しは新鮮で感動を呼ぶ。

今回舞台になった地方は、豊かな土壌と気候に恵まれた、中国でも有数の農業地帯であり、太湖は夕日の美しい湖として世界的に知られているようだ。水平線が彼方に広がる大地に、突然出現した大きな風車と草ぶき屋根の小学校の描写は確かに風光明媚だった。ロケセットが非常に映画を水準にの仕上げていた。さて、果たしてどうなのだろうか、助け合わなければ生きていけない時代を見せつけられ、近代化が今も進む現在を生きる我々にとっては、戻りたくても戻れない生活環境だなと思う。心豊かで幸せだった子供時代を捉えているこの映画は、近年生まれた子供たちの心には確実に得られない風景であろう。この作品にもはげあたまの身長の高い少年がいじめられているのだが、この時代におおっぴろげにいじめをしていたら即座に大問題になる事は周知の通りだが、この時代は本作のいじめられている少年同様に、耐えなくてはならなかった。

必死で自尊心を保ち支えてこようとするいじめられるはげ少年の姿を見ると目頭が熱くなる。それを遠くから眺める校長先生の息子(主人公)が彼の岸辺で泣いている姿を見たときに立派に見えた表情をするのが印象的で、今の時代、体と体、心と心をぶつけ合って遊ぶ事は困難だろう。近場に公園があれば騒がしいと近所からクレームがきて、公園はなくなり、公園の遊ぶ遊具が禁止され徐々に遊具はなくなり、子供たちが体と体でぶつけ合って遊ぶグラウンドがなくなりつつある今日、SNSと言う画期的なもので人を傷つける荒んだ現実を見ると非常にショックである。この映画は現代を生きる我々にかなりのショックを与える映画であり、日本で教育現場の問題が大きく社会問題まで波及した事は遥か昔からあり、校内暴力を始め不登校など様々な問題は尽きない。

そして学歴社会の今日に至っては、卒業した学校や成績によってあたかも可能性に限界があるように定められてしまい思うようにやりたい仕事にもつけず、子供達の遊ぶ時間が勉強へと奪われてしまい、子供同士のぶつかり合いが困難になっている今が嘆かわしいと思わされる映画である。社会の歪み、とりわけ子供、弱い立場の人へと向けた監督のメッセージはただならぬものを感じる。親の持つ価値観に大きく影響を受ける子供たち、大人が自らの職業に対する誇りや責任を押し付ける重苦しい家庭教育、学校教育を生きてゆかなければならい今日に、改めて考えさせる題材だなと思った。全世界が便利な社会と効率を追求してきている中、それを引き換えにどれほど大事なものを失っているのかを改めて気づくことになるだろう。文明の発達が文化を衰退させてはならないと覚悟しながら見ないと厳しい…。そしてこの時代はまだ中国が発展していなかった時期である(映画が作られた九十年代の終わり)年はまだ良かったものの、今現在の中国を見ると力に物言わせて弱者を虐げる場面を知ると悲しくもなる…。

そしてこの映画の画期的なところは学校が地域社会の文化センターであると言う事、子供が大人の社会と無関係に成長していくわけがないと言う事を描いているところである。いくつかのエピソードがあるが、ネタバレになるため奇しくも言えないが、そのエピソードを垣間見るとそういった面を感じる。そしてこの作品は途中で息子が病気にかかってしまい懸命に医者を探す父親を映しているが、そこには父性愛があり、同時にこの学校とそれを含む地域社会が一つの共同体をなしていることがわかる。この映画には謎も多く、遠い場所から学校へ転校してきた少女がなぜこの学校に来たのか、なぜいきなり去ってしまったのか、なぜはげ頭の少年がいて、その禿はなぜ禿ているのかと言う理由もなく、なぜいきなり病気にかかってしまったのかなどそういったエピソードの原因が決して解決する事は無い(少女が最終的に父親らしき男性とバスに乗るシーンが出てくるのは解決と言えるかもしれない)。



それにしても印象的だったのが、自宅と学校がほぼ一緒のため、サンサンがおねしょした布団を干されると学校中にばれてしまって、その布団を物干しざお事を吹き飛ばして涙をするのを母親が見るシーンなどは結構きつかった。さらに校長先生である父親に甘えてしまう、周りの目線が痛いと言うことで通常の子供以上になぜだか距離感があるのもかわいそうに感じる。そしてこれはあまり教えたくないエピソードだが、火遊びをするボヤ騒ぎがあるのだが、そこで告白できない彼の心境もかなりきつい。映画を最後まで見ればわかることだが…。いろいろとあるのだ。感動的な場面が。とにかく豊かな情感に恵まれた世界で成長する子供たちがバイタリティーで描かれていて、登場人物たちが貧しくとも素朴な生活で営んでいる姿を見ると、美しく素朴な感情が芽生えてくる。

サンサンが校門の外で駄菓子を売っている同級生に同情してお金を置いて飴玉を買って時間に遅れましたと涙を流しながら飴食べてます、と先生に言う場面は感動しつつ少しばかりおかしくて笑ってしまう。その駄菓子を売っている同級生はアヒルが卵を産んだことによって感動して涙を流す下りも胸を打つ。そんでその後にその子に勉強してもらうために父親が大事にしていた教科書に鉛筆を入れてしまったことによって怒鳴られている場面、そこから病気になり、父親と一緒に病院へ回る場面、そして雨の中おんぶされながら息子が実は火事を起こしたのは僕なんだと告白するときに、父親が泣きながら許す場面すごく印象的だ。そして何よりも、父親が息子をおんぶしながら学校の校庭を歩くのを教室から眺める数々の同級生一人一人をクローズアップで捉えるまなざしのショットは印象的だ。そしてクライマックスのしょんべんの場面はいかにも中国らしく、女の子の歌声でエンドロールになる終わり方の余韻、まさに岩波ホールらしい映画の選出だ。