三四郎

ドクトル・ジバゴの三四郎のレビュー・感想・評価

ドクトル・ジバゴ(1965年製作の映画)
3.0
なるほど「革命」とは、貴族や資本家などの特権階級VS愚かな知識人と彼らに洗脳された飢えた労働者たちの闘争か。
どちらにも組せずただ平凡な幸せだけを願う中流階級は迷惑を被るだけだ。祖国を捨てるという発想は、なんの努力もせず「モノ」を手に入れようとする特権階級と労働者階級からしか起きないのかもしれない。
中流階級には努力してその地位を手に入れたという誇りと己を認めてくれた国家への愛があり、特権階級には暇の持て余ししかなく、労働者階級には妬みと恨みしかない。

美しいということになっているヒロインのラーラも奥さんのトーニャも、どちらも微妙過ぎて…大変失礼ながら美人とは思えず、その分この作品にあまり心が揺さぶられなかった。

ラーラはおじさんっぽい顔で野性的な感じがし、トーニャはアリクイに似ているバーブラ・ストライサンド系の顔だと思いながら観ていた。
しかし、どちらも役柄における性格が実に良い!ロシア女性というのはなんと恋に落ちやすく献身的で心優しいのかと思ってしまった笑 ジバゴも罪な男だ。

政治にしても社会構造にしても倫理道徳にしても「おかしい」「間違っている」と思いながらも流されてしまうのが人間であり、特に中流階級の人間こそ、その傾向が強いように思う。

この映画の教訓は、「誰かがなんとかしてくれる」という他力本願の危うさであろう。私にも言えるので耳が痛い!笑
三四郎

三四郎