jonajona

スプリング・フィーバーのjonajonaのレビュー・感想・評価

スプリング・フィーバー(2009年製作の映画)
3.6
初ロウイエ映画。

なげぇよ、ってのがまず思った事なのだが不和や不遇で擦り切れ合いすれ違ったまま誰かの補完として求め合っていた3人(男2人と女1人)が、喪失感を抱えたままだが互いに許しあいカラオケボックスで言葉を交わさず歌うシーンの美しさはとてもよかった。なんならちょっと泣けた。

前半の不倫関係にあった恋人同士とその妻の女の関係性と、カラオケボックスの3人(不倫がバレて職場に押しかけられたゲイの男と彼と恋仲になった探偵の男と元々その愛人だった女)の関係性は相似形を描きながら痛みを経て違う様相を呈してくる。そこに意外性があって感動が生まれたように思う。一度対比させてるのが同じような悲劇を連想させてそこからの赦しなのでカタルシスがありうまい。

愛人関係?にあった社長が逮捕されて釈放するために部下に体を使って交渉し、しかし虚しさだけが残り探偵の元に身を寄せるが彼がまさかの男と熱いキスを交わしてるところを見る。それで何事もなかったかのように愛人の探偵の横で寝てから、彼が起きないようにそっと部屋を移って泣きながらカラオケするのである。相手を殴りつけたりしないでそっと歌うのだ。いい女じゃないの全く。
あの愛人の女の子に感情移して涙腺が刺激された。その後の会話の無いままに互いを赦し合い認め合って踊る一連のシーンがこの映画の白眉だろうし、正直あそこで綺麗に終わってればかなり好きだったかもしれない。その後が蛇足にしか感じられなかった。
言葉を一切交わさず男が彼女の横に行き、歌ってるのを静かに聞く。この静かに聞いてるだけ、というのが存外こちらの感情を刺激するしイメージをおこす。泣いてる女と手を握り合う。それを隠れて見ている探偵の男。彼女がトイレに行く、涙を拭いてると探偵の歌声が聞こえる。部屋に戻り探偵が歌ってる。その横にいき体を寄せ合う2人。誰も視線は交わさない。誰も相手を責めない。身を寄せ合って歌う。
前提として不倫をしていた泥棒猫の男と実は彼の恋人を間接的に滅ぼした探偵の男と探偵の男の愛人だったはずの女でやたら拗れてるのがフリが聞いてていい。最後は言葉なしだな。歌の力がでかいというのもあると思うが演出もよかった。
探偵と不倫男が結ばれるシーンの一度ケンカして家を出てからやっぱり引き返して、部屋に出迎えるも何か言う事ないのか?と言わんばかりに腕で通せんぼしてお互いに気恥ずかしくなりほくそ笑む場面もかなり良かった。無言のシーンがエモい。

クラブで絡まれて2人して逃げ出てからちょっと言葉を交わして酒でも飲むか、ついて来いってなるシーンも格好よかった。
相当ベタだけどベタでいい。

手取りのカメラの荒々しさは昔の映画というのもあってそこまで気にならなかったが、中国の検閲下で大手を振って撮影できないから家庭用カメラで隠し撮りしてたというのはなるほど納得、面白い。

ラブシーンがかなり過激でびっくりした。

昔の発展途上国によくあるタイプの蛍光灯の緑がかった青のライトがめっちゃ好きなのだが、この映画背景のところどころにそれが溢れてて見てて幸せだった。あのライト日本にももっと導入してほしい。

序盤、探偵が不倫関係を突き止めて奥さんに旦那がゲイで男とできてるってバレるんだけど、その後ゲイの旦那と奥さんがどう話を転がすのか…と色々想定してたが一瞬で真相を突きつけて口論になり旦那の不倫相手の男の職場に凸!というスピード感はなにげにうまかった。そこの展開だけ期待以上に早くて驚いた。

ちょいちょい笑えるシーンもあり、吸い終わったタバコをラーメンの汁に浸して消すところとか、没落した社長が部下だった男に目の前で自分の愛人を俺んとこ来いよ!牡蠣が好きなんだろ?たらふく食わせてあげるから!と誘われちゃってるのを黙ってラーメン食いながら無視してたあとで、2人きりになったらそっと自分とこにあった牡蠣を全部彼女にあげてなんとか機嫌をとろうとする(表情は仏頂面のまま)場面のシュールさはよかった。

けどほかの場面や展開はわりと何を示してるのか分かりづらい所が多くて洒落てるとは思うけど冗長で正直眠たいというのが主だった感想になる。体感3時間だった。
1番こまったのは誰の話か焦点が定まってないので感情移入が難しいところかな。結局1番心に響いたのは脇役だった彼女が歌うシーンだし、そこに重点を置いてるバランスも中々変な映画。

それでも自分の趣味なら見に行ってなかっただろうから人に誘われて見れておもしろかった。最近はこういう不意に映画にでくわす体験がしづらくなってるのでありがたい。意外にも一緒にみた先輩は僕以上に退屈しててそれも面白かった。

そういえば、僕はカラオケのシーンで感動したままに帰ってしまってもよかったんじゃないだろうか?と今思った。
何も全ての映画において作者が想定した結末を見届ける必要はない。見てる自分の心の揺れ動きを味わえて、今まで見た限りこれがこの映画の白眉に違いないと思い切れたら今度から映画の最中でも席を立ってみようかと思う。
映画との付き合い方も別にもっと自由にしてやろうか。一辺倒にエンドロールを見続けるものに固定することはないのだ。
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