kkkのk太郎

レミーのおいしいレストランのkkkのk太郎のネタバレレビュー・内容・結末

3.4

このレビューはネタバレを含みます

シェフを夢見るネズミのレミーと、何をやってもダメなレストランの雑用係リングイニの友情と成長を描いたファンタジー・アニメーション。

👑受賞歴👑
第80回 アカデミー賞…長編アニメ映画賞!
第65回 ゴールデングローブ賞…アニメ映画賞!
第35回 アニー賞…脚本賞/長編アニメ映画賞!✨
第79回 ナショナル・ボード・オブ・レビュー…アニメ映画賞!
第33回 ロサンゼルス映画批評家協会賞…アニメ映画賞!
第3回 オースティン映画批評家協会賞…アニメ映画賞!
第61回 英国アカデミー賞…アニメ映画賞!

アカデミー賞を総なめにした話題作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)でも大々的にパロられていたピクサー作品。
とても有名な作品だが、よく考えたらこの映画一度も観たことが無い!ということで今回鑑賞してみました。

監督はブラッド・バード。ピクサー作品の監督を務めるのは『Mr.インクレディブル』(2004)に続き2度目。その2作品ともアカデミー賞を受賞しているという、正に名匠中の名匠であります。

本作と『Mr.インクレディブル』に共通しているのは、メインキャラクターの大部分が人間であるということと都会が舞台であるということ。
当時はまだ人間が主役を務める3DCGアニメはほとんど無かった。動物や怪物はともかく、人間を3DCGで表現するのは技術的に難しかったのだろう。今回の監督起用も、おそらくは前作で人間主体のアニメーションを手掛けたという功績を買われてのことなのだと思われる。

さて、バード監督が手がけたピクサー作品を比較してみると、たった3年で驚くほどに映像技術が進化していることに気づく。
正直、『Mr.インクレディブル』の映像は今見ると古臭く、キャラクターのアニメーションにはぎこちなさを感じる。特に都会の街並みはまるでデモ映像のように陳腐。
もちろんこれは手を抜いたわけではなく、これが当時の技術的限界点であったということなのだが、3DCGアニメというジャンルがまだまだ発展途上の段階だったということがありありと分かる作品である。とっても面白いんだけどね。

それに引き替えて、本作の映像はなんと豊かなことか!
人間キャラのアニメーションは滑らかで表情豊か。これまでの3DCGアニメにあったキャラクターのお人形感を見事に払拭出来ている。
舞台となるパリの街並みも美しく表現できており、ロケハンの努力が見て取れるようなリアリティがある。
レストランの厨房内もとってもリアル。ひとつひとつの小物の汚れがしっかりと描かれており、これが作品内世界への没入度を格段に高めてくれています。
今から15年前の作品ではありますが、映像的な古さはほとんど感じない。本作により3DCGアニメの技術は一応の完成をみたといっても過言ではないでしょう。

『Mr.インクレディブル』同様、本作で描かれるのは天才であるが故の生きづらさ。バード監督は「秀でた才能のせいで社会に適応する事が出来ない存在がその才を生かす術を身につけ、遂には自己実現を果たす」という物語を一貫して描いているのです。
それに加えて、本作では自己実現を阻む格差や差別といったテーマも盛り込まれています。人口の10%が移民であるとも言われる、移民大国フランス。元の住まいから銃で追い立てられパリに移り住み、そこの住民たちの目を逃れるようにして隠れ住むドブネズミのレミーがマイノリティな人種のメタファーであることは想像に難くない。
また、本作のヒロインであるコレットは料理団唯一の女性。セリフでも説明されていたが、古いしきたりや価値観が幅を利かせるフランス料理の世界で女性が生き抜くのは容易ではないようだ。日本の寿司屋と似たようなものなのかも知れない。
このように、本作は人種差別や性差別といった不当な扱いに対する批判的なメッセージが込められているという点において『Mr.インクレディブル』よりも先進性のある物語になっており、バード監督、そしてピクサー・スタジオが作品を作るごとに着実に進化していることがよくわかる。

ネズミが人間をロボットのように操る、このビジュアル的な可愛さと面白さ。このユニークな発想だけで、この映画はもう合格!ウキウキ楽しい気分になっちゃいます♪

…ただ、正直気になる点もかなりある。
まず第一に、本作には主人公たちと敵対する存在が2人いるという点。それ自体は別に問題ではないのだが、気になるのはその2人のキャラクターには特に接点がないというところ。
シェフ長のスキナーと評論家イーゴ。この2人がレミー&リングイニに立ち塞がる障壁。前半の敵はスキナー、後半の敵はイーゴといったように綺麗に分かれているのだが、この2人には関連性がほとんどないため、物語の流れが少々歪になってしまっている。
また一つの映画で2人の異なる敵と対決するため、必然的に一人一人の描写は薄くなる。そのため、スキナーとの店の権利をめぐる争いは尻切れトンボのようだったし、イーゴとの戦いにはかなり唐突さがあったように思う。
イーゴがラタトゥイユを食べた瞬間の、あの幼少期の記憶がフラッシュバックするという描写にめちゃくちゃ感動した。もしも前半からイーゴとの対立関係が綿密に描かれていれば間違いなくあそこで涙腺決壊していたと思うので、彼の描写不足は本当に勿体無いと感じてしまう。
無理にスキナーという悪役を用意しなくても、イーゴ1人だけで本作の敵役は充分だったんじゃないかな。

第二の気になる点は、もう1人の主人公リングイニに全く好感が持てなかったということ。
本作の枠組みは完全に『ドラえもん』と一緒。ダメダメな主人公の下に突然彼をサポートしてくれる存在が現れ、時には反目しあいながらも友情を育んでいく。
のび太とリングイニに共通するのは、お助けキャラに甘えて自分では全く努力しないという点。
まだのび太は子供だし、劇場版では頑張るし、「さようなら、ドラえもん」ではガッツを見せるしで共感の余地があるんだけど、マジでリングイニには好きになれるところが全然ねぇ!レミーのおかげで彼女は出来るし名声は手に入れるし店のオーナーにはなるしで棚ぼたが過ぎる。コレットがやけに可愛い分余計にムカつく!😠
レミーから料理を教わることで一人前のシェフとして成長するとか、そういう努力が少しも描かれなかったので、最後まで周囲に甘やかされるだけのダメ男っていう風にしか見えなかった。

そして最も大きな問題点。
めっちゃ根本的なことを言うけど、レミーがネズミすぎる!🐀
これダウンタウンの松ちゃんも言っていたけど、ネズミの作った料理なんて全然食べたくない…。だってあいつらさっきまでドブの中にいたんですよ。もう食中毒待ったなし。
それこそ、ミッキーマウスみたいに擬人化された存在だったり、『ズートピア 』(2016)みたいに動物だけの世界だったりすれば全然飲み込めるのだけれど、ネズミのCGがリアル、かつパリの街並みもリアルなので、この世界観でネズミたちに料理を作られると正直気持ち悪さが勝つ。
レミーは移民やマイノリティのメタファーである、と前述したけれど、それでもやっぱりネズミはネズミな訳で。そりゃ衛生的にも倫理的にもアウトでしょ、となってしまう。
「誰にでも料理は作れる」ってそういう意味じゃなくない!?

とまぁ、割と設定の根本的なところに乗ることができず、なんかモヤモヤした鑑賞体験となってしまった。
ジョージ・ミラー監督のアニメ映画『ハッピー フィート』(2006)は、主人公マンブルが仲間のペンギンたちに踊りという文化を広めるという物語だった。
本作もそれにならって、レミーがネズミたちに料理の素晴らしさを広めるという物語にしてしまえばまだ飲み込みやすかったかと思う。まぁそれが面白いかどうかは微妙なところだけど…。
リングイニに呆れてお店を辞めたシェフの人たち、可哀想だよな…。そんな事を考えてしまう映画でありました。
ピクサーの攻めた姿勢は好きだけど、本作はちょっと尖りすぎかな…。
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