kkkのk太郎

時計じかけのオレンジのkkkのk太郎のネタバレレビュー・内容・結末

時計じかけのオレンジ(1971年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

半ばディストピアと化した近未来のロンドンを舞台に、暴力に明け暮れる青年アレックスを待ち受ける運命、そして叛逆を描いたSFサスペンス。

監督/脚本/製作は『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』『2001年宇宙の旅』の、巨匠スタンリー・キューブリック。

第37回 ニューヨーク映画批評家協会賞において、作品賞/監督賞を受賞!✨

原作はアンソニー・バージェスの同名小説(1962)。20世紀最高の映画のひとつとして数えられる、超有名な作品である。しかし、その知名度とは裏腹に内容はかなり難解。この物語を通して一体何を伝えようとしているのか、正直よくわからない。そもそもタイトルからして「時計じかけのオレンジ」なんていう意味不明なものだし。てっきり梶井基次郎の「檸檬」(1925)みたいな作品かと。…まあ当たらずといえども遠からずではあるんだけど。

物語としては昔ながらの因果応報もの。悪行の限りを尽くす青年アレックスがその罰を受け破滅の一途を辿る、というわかりやすい筋書きなのだが、ただそれだけのものとしてこの映画を受け止めると全く見どころはない。第一、このアレックスとかいう悪党は最終的に破滅も更生もしない。それどころか「またやったろうやないかい!😏」という不敵な笑みを残すのである。
このラストシーンからもわかるように、本作はイソップ童話のような教訓物語ではない。もっと別の意味が隠されているようだ。

最もわかりやすいところでは、本作はロボトミー手術について扱った作品であるといえるだろう。「治療」と称して人間の脳みそをいじくりまわし、アレックスを廃人同然へと追いやった「ルドヴィコ療法」はどう見てもロボトミー手術のメタファー。その非人道性に対して否定的な態度をとっているという点で、『カッコーの巣の上で』(1975)と同様のメッセージを発していると言える。

別のレイヤーからもこの映画について考えてみる。
「暴力」と「セックス」、そしてそれらとは対極にあるようにも思える「芸術」を愛するアレックス。これが何かというと、完全に「人間」そのもの。よく犯罪者のことを、「人でなし」とか「人非人」とか言いますが、暴力性と支配欲こそがヒトという種が持つ最大の特性であることは、昨今の社会情勢を見れば明らか。誰よりも人非人であるアレックスこそが、誰よりも”人間”なのだ。
そんな彼を閉じ込め、矯正しようと試みる刑務所はシステムやイデオロギーの比喩。甘言を弄してヒトに近づき、映画や音楽をプロパガンダに用いてその脳をハックする。そして最終的に踏まれようが唾を吐きかけられようが全く抵抗することの出来ない、従順な仔羊を作り上げてしまう。

アレックスは吐き気を催す邪悪そのものなのだが、彼がどうしようもない腑抜けに仕立て上げられ、徹底的に虐げられる様を見ていると何故かフラストレーションが溜まってしまう。地の底まで追い詰められた彼が最後の最後で死の淵から甦り、カメラに向かってニヤリと笑う姿にスカッとしたのは自分だけではないだろう。
本作のテーマは人間という「個」とシステムという「全」との戦い。微力な個が全とぶつかれば、ぺしゃりと押しつぶされるというのは火を見るより明らか。しかし、だからこそ徹底的に痛めつけられた彼が不敵に笑うラストシーンが示す叛逆の兆しに心が掻き立てられるのだ。

もう一つ、本作にはキリスト像や牧師の説教など宗教的なモチーフが多く登場している。このことが示しているのは、この物語が神学的な意味を含んでいるということだろう。
神学者アウグスティヌスに端を発する信仰に対する「自由意志」の解釈は、16世紀にはルターvsエラスムスのレスバに発展するなど、キリスト教の歴史において大きな意味を持つ事柄である。
アレックスがルドヴィコ療法により奪われるのは自由意志。「右の頬を打たれれば左の頬を差し出しなさい」を地で行くアレックスはまさにクリスチャンそのもの。しかし、神への服従を自分の意志ではなく強制させられたとしたのならば、果たしてそれは信仰といえるのか?本作はそこに深く切り込んでいる。
原作者アンソニー・バージェスの宗教観については全く知らないが、彼は『ナザレのイエス』(1977)という映画の脚本にも携わっているようだし、キリスト教に対し何かしらの意見や主張があるのだろう。本作にもそれは色濃く反映されているように思う。

多彩な読み解き方が出来る本作。さすが名作と言われるだけある!…と感心するところもあるのだか、正直言ってかなり退屈した…というか、なんかあんまり起伏がなかったので眠たくなってしまった😪
キューブリックらしい構図のカッコ良さ、特にオープニングのこちらを挑発的に睨みつけるアレックスのクローズアップからぐーっとカメラを引いていっての、あのバーの全貌を映し出すロングショットには痺れた!その後のトンネルに長い影を残すアレックスたちの映し方も最高にかっこいい。
…まあでも、そこのカッコ良さがピークだったかも。言ってる事もちんぷんかんぷんだったし。最初AIが字幕作ってるのかと思うほどに意味不明な文章で完全に脳みそが「?」となってしまったのだが、あれは「ナッドサット言葉」というあの世界独特の言い回しなんですね。後半になってくると大体何言ってんのか分かるようにはなるんだけど、前半は本当に理解不能で、それも睡魔を促進させた要因だった。

世間的な評価程には楽しめなかった、というのが正直な感想。とはいえ、最低過ぎる『雨に唄えば』(1952)パロディシーンや、真相に気づいた老作家の渾身の顔芸には大爆笑させてもらったし、なんだかんだで満足しております!
いつか観なくてはならないと思っていた作品をついに観終える事が出来、謎の達成感が湧いている。これほどの有名作品、面白いとか面白くないとか以前に、やっぱり観ておくべきですよね♪
この後アレックスはアメリカに渡り、「ジョーカー」と名を変えバットマンと死闘を繰り広げるのだった。物語は『ダークナイト』(2008)へと続く。…ごめんなさい嘘です。

余談だが、あのチンポのオブジェクト、日本の豊年祭で祀られる御神体みたいで良いですよね。いやおめでたい㊗️わっしょいわっしょい!!イン・アウト♂イン・アウト♀
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