Kuuta

レミーのおいしいレストランのKuutaのレビュー・感想・評価

4.1
ずっと見落としており、今回が初見。快作だと思ったが、日本のネットの評価はイマイチなようで…。

どぶネズミが料理する設定が生理的に無理って人には合わないのだろう。自分はレミーが可愛くてしょうがなかったので気にならなかった。あえてネズミらしい造形にこだわったそうで、リアルなネズミが非現実的な夢を実現するからこそ、カタルシスが生じている。リングイニとコンビを組むシーンでの、瓶からの本物のネズミっぽい逃走→橋の影から少しずつ姿を見せる、非現実的な再会。消えかけたファンタジーがもう一度花開く、溜めの作り方が素晴らしい。

リングイニが結局ウエイターにしかなれないのがブラッドバードっぽい。普通の監督ならリングイニが自分なりにシェフとして努力、成長する話に持っていくが、あくまで今作において芸術家を前にした凡人は、凡人として生きるべきという結論に持っていく(物凄い勢いで給仕する描写があるので、ウエイターとしての才能があったと見ることもできるが)。

この展開を「物足りない」と感じるか、ブラッドバードなんでしょうがないと感じるか。これも見る人それぞれだろう。完璧なバランスの映画ではないと思うが、私は後者の方で楽しめた。

リングイニが受け身すぎて乗れない、という意見もあるようだが、ネズミも殺せない優しさを持ち、いち早くレミーの才能に気付いて料理人として受け入れた、この姿勢はグストーの息子たる所以だと思う。料理の才能が無くても、グストーの精神はレミーとのコンビによって受け継がれている。

自己表現を抑えてフラストレーションを溜めるのではなく、勇気を持って才能を示し正当な評価を得るべきだと、後世のクリエイターにエールを送っているように見える。一方で、芸術家が成功するには周囲の手助けが必要なのも事実。真実を知って次々に料理人が厨房を去るシーンが象徴的だが、リングイニやイーゴがいて初めてレミーは自分の力を発揮できた。不安を乗り超えてレミーが胸を張って店に戻り、その姿をリングイニが庇う。あそこが今作最大のポイントだろう。

劇中のレミーの扱いは人種や性差別のメタファーでもある(一瞬ノートルダム大聖堂が映る)。「僕たち次第で自然は変わっていくもの」。死すら覚悟して店に戻るレミーは社会のアウトサイダーであり、一種の革命家だ。画面右の下水道にネズミ、左のレストランにリングイニが帰っていく中で、真ん中にレミーだけが残るシーンや、二本足で歩き始めるシーンが印象深い。

「誰でも料理が出来る」という(ディズニー的な)テーマを用いてネズミが料理する設定に説得力を出そうとしているが、リングイニに料理の才能は無く、その点は前述したように全く救われていない。結論として、ラストのイーゴの評論(=ブラッドバードによる意見表明であり、無能な映画評論家や大衆に対する批判)にあったように「誰もが芸術家にはなれないが、誰が芸術家になるかは分からない」ので、新たな才能には門戸を開いとけ、と言いたいようだ。また、このテーマをスキナーが「誰でもできる料理=大衆は冷凍食品で十分」という考えに曲解しているのも面白い。スキナーが完全な悪ではなく、どこか人間臭いのも魅力的だった。

アクションのキレ、テンポ感はまさしく職人技。料理シーンの手際、乗り物アクションの見易さ。色んな動作にCGアニメならではのアイデアが詰まっている。ローラースケートまで伏線回収するとは…。

本来映像で表現しようのない「味覚」を音楽のイメージに例えるのも面白い(あれが終盤で回収されてるともっと良かった)。レミーが才能を自由に発揮する場面はどれも感動的。特にネズミの集団が連携プレーで料理を仕上げる終盤のシーンは、「ネズミは料理と対極の存在」という既成観念をレミーという天才が徹底的に破壊する快感がある。

厨房やレストラン、パリの夜景、下水道の不気味な空気の再現も見事。水や毛の質感にも眼を見張る。料理がそこまで美味しそうじゃなかったのは残念。

人間に限らず誰でもシェフになれる可能性を残してこそ、偉大な才能が生まれるのだと、イーゴはレミーに会って理解する。レシピ通りの紋切り型ではなく、自分の感覚を頼りに人生を楽しめ、と言っているようにも感じた。82点。
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