未曾有の不況(この不況には当時のアメリカ大統領の関税上げる政策が影響していたりも)にあえぐ昭和初期を舞台に、持ち前の胆力と知恵で裏社会をのしあがろうとする悪党たちの活躍を描いたピカレスク映画。この時期の東映は任侠映画が下火になっており新しいジャンルを模索している最中で、本作もそうした背景をもとに高倉健や鶴田浩二のような正義のやくざではなく悪役もこなせる器用な若山富三郎に悪いやくざを演じさせる新シリーズを目論んだものの成績があまりパッとしなかったのか『日本悪人伝』シリーズはこれと『地獄の道連れ』の2本のみで終わっている。とはいえ任侠の醜悪な部分を見据えるドラマの構成は3年後の『仁義なき戦い』で開花したので決して無駄ではなかったはず。
本作の若山富三郎は暴力のみならず頭の回転も早く度胸も持ち合わせており、博徒など裏社会で君臨する人間たちの裏をかいて立ち回る設定に説得力を与えている。それに加えて仲間に冷酷なブレーン渡辺文雄が存在しているので様々な悪人が若山を亡き者にせんと謀略を図ろうとしても彼がその計略に気付いて若山が無敵のパワーなどを駆使して先手をうって悪人たちを始末していくのが他の任侠映画にはないカタルシスを生んでいる。
ただこうした悪党を主役とした映画作りのノウハウがまだ確立されていないせいか監督が話にのれなかったのか、話全体の語り口がスローペースだったり時折人情まがいのエピソードを差し込んだりしており一時間半という時間の割りにはやや長めに感じてしまうのが惜しい。主人公のもとに集うメンバーも個性的な奴らばかりなのにメイン数人を覗いてはあまり特徴を発揮しないまま退場していたり、意味なく劇画みたいなエロシーンやエロギャグを差し込んだりしているのも雑な印象をもたらしている。
それでも命の危険と紙一重のなかを潜り抜けて出世してきた若山たちがある脅迫行為を切っ掛けに大物の怒りを買いどんどん追い込まれていくも何とか逆転しようとする後半の展開はなかなかだったし、そこからの無惨に主人公も敵対する人間も散っていく終盤の死闘シーンの容赦のなさは凄いものがあった。元々教育映画出身だったという村山新治監督による暴力への強いメッセージと言うべきか、そしてその非情な描写は後輩の佐藤純彌(『実録私設銀座警察』)や深作欣二(『人斬り与太 狂犬三兄弟』)に受け継がれていく。
悪事に加担した者の末路を何の感傷もなく冷淡に見せつけるラストにポカーン、お祭りの裏で奏でられた狂想曲の止め。
若山以上に死闘を繰り広げる渡辺文雄やメインとして活躍する江幡高志も見もの。