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太陽の帝国のKuutaのレビュー・感想・評価

太陽の帝国(1987年製作の映画)
3.7
攻撃する米軍、攻撃される日本軍、巻き込まれる英国人、三者の立場を同時に描く「戦場にかける橋」のような作品だ。デヴィッド・リーンが監督する話もあったらしい。

この映画は分かりにくい。戦場にかける橋は三者の立場の違いが明確だったが、今作の主人公は多感な少年期に戦火の混乱を経験した結果、三者全てに感情移入しながら、状況に応じてコロコロと表情を変える倒錯した人間に育ってしまう。それが戦争を生きるということなのかもしれないが。

日本軍も米軍も魅力的に描くイレギュラーな内容にも関わらず、ジョン・ウィリアムズやスピルバーグは通常営業で映画を彩っているので、集中して見ないと何と何が対立しているのか、軸がぼんやりとしてしまう。

私としては、この三要素のぶつかり合いだと理解して見ていた。
①英国式のキリスト教②米国式のプラグマティズム③日本式の天皇崇拝=太陽の帝国

▽「未知との遭遇」を経て
冒頭、教会で少年(クリスチャン・ベール)は聖歌を習っているが退屈そうだ。無神論者だと明言される彼の心を震わせ、生の実感を与えてくれるのは神ではなく、戦闘機であり、大空であり、太陽である。彼は①の生活の中で、空飛ぶ日本の戦闘機に見惚れ、知らず知らずのうちに③に接近している。

①と③が交錯するのが、日本軍の上海攻撃が始まるシーン。少年が日本の船に向かって灯りをオンオフし、船から光の返答が来た瞬間、大爆発が起きる。この演出は明らかに「未知との遭遇」であり、この時点の少年には、日本軍が得体の知れない神のような存在に見えている。

しかし、当然ながら日本軍もただの人間であり、暴力や掠奪が横行する。神に陶酔して終わる「未知との遭遇」とは異なり、神だと思った存在が人間だとわかり、人間vs人間の生存競争にフェーズが移る。

ここで登場するのが②米国人だ。彼らは生きるため、使えるものは何でも使って合理的に生きている。捕虜には銀のカップや石が一つしか渡されないが、彼らは物々交換を通して経済的な余裕を作り、音楽を嗜んで精神的自由を確保する人種として描かれる。
そうした態度に日本兵(伊武雅刀)が苛立つ展開は「戦場にかける橋」そのものだ。

英国人は物を移動させる力に乏しく、一方的に搾取される。前半の少年は手持ちの物を取られ続けている。米国人も少年も日本軍に捕まり、収容所生活が始まる。生活を滅茶苦茶にしたはずの③日本軍の戦闘機を見て、少年は陶酔したような表情を見せる。

▽トランス状態
後半冒頭、少年は生き生きと収容所を走り回り、物々交換の中心になっている=米国人化が進んでいる。一方で収容所の外にある戦闘機への愛も捨てがたく、日本贔屓でもある。日米双方に感情移入してしまう上海出身の英国人。アイデンティティの揺らぎに、家を失うスピルバーグお馴染みのモチーフが重なる。

戦争末期、太陽への信仰、戦闘機への信仰は、神風特攻隊に顕現する。海ゆかばを歌う日本兵を見た少年は、讃美歌で答える。朝日の中、ドラマチックに「神」が飛び立って行く。

しかし「神」は目の前で爆発し、あっけなく消える。米軍の反撃だ。1分前まで日本軍に心酔していた少年は、米軍の活躍に興奮し、自分を苦しめてきた収容所の破壊に解放感を覚える。①②③が入り混じったトランス状態に陥り「触ったんだ、熱かったんだ」と、神との接触に狂ったように叫ぶ。今作の複雑さを象徴する場面であり、画面奥で飛行機アクションが同時進行する情報量も相まって、ここはかなり心を揺さぶられた。

少年を抑えに来た医者は「お前は考えすぎだ、怪我人を治療しろ」と現実を見るように一喝。少年は「もう両親の顔が思い出せない」と打ち明ける。彼の心の基盤となるべき①は、戦争で壊れてしまった。

川で始まり川で終わる、人が水と生きることが強調される今作。最大の見せ場であるこのシーンの最後に、カメラは特攻隊が口にした御神酒を捉える。

▽原爆、神の光
収容所を逃れ、たどり着いたスタジアムには①の生活の名残り、接収された高価な家具やピアノが並んでいる。ここで古い物に囲まれて死ぬのか、生きようとするのか。

朝焼けと共に、一緒に過ごした女性が亡くなる瀬戸際、少年は海の向こうに巨大な光を見る。「ビクター夫人が天に昇る光だと思った」。中国から長崎の光が見えるわけがないのだが、まあ心象風景ということで。

神を知った少年は生きる意志を手に、収容所に戻る。今作はファーストショットから右への移動と左への移動、往復運動を意識させ、主人公の行ったり来たりな状況を描いているが、ここで少年は日本兵を救おうとする。原爆が日本人を殺したのであれば、今度は自分が神の光で日本人を救うのだと。

心臓マッサージの往復、激しく動く頭のクローズアップの向こうから、太陽の光が何度となく差し込む。少年は視線の先で、日本兵ではなく①かつての自分の姿を見る。自分の魂を少年は救っている。

(ここは難しい。日本兵が生き返ったら「原爆で死んだ日本人を復活させる」という歴史軽視甚だしい展開になってしまうので、それは流石に避けている。しかし、彼の魂はこの行為を通して復活しており、「原爆で誰かが救われる」展開ではある。「原爆が一瞬で戦争を終わらせた」という米国目線のニュースが入るのも含め、個人的にはちょっとモヤる)

映画は少年の目に光が宿って終わる。①の世界が崩壊している以上、狂人エンドなんだと理解したが、人によって印象は違うかもしれない。

▽その他
・少年の主観的な欲望と、大人たちの合理的な判断が交差する脚本。例えば、少年は自分のライトが原因で上海攻撃が始まったと思っているだろうが、日本軍としてはその時がベストタイミングだっただけだ。死体の目が動く場面も、自分が特別だと思い込むには格好の材料だろう。少年が神と出会うまでの個人の物語と、客観的な歴史ドラマが並行して描かれる。

・少年はかなり感じが悪い。冒頭から中国人を見下しているし、大混乱の街を見てニヤッとするショットも入っている。子供目線で戦争を楽しんでおり、生活が辛くなると何の葛藤もなく日本兵に降伏する。悪魔的な七変化を若きクリスチャン・ベールが熱演

・好きな演出。時代の変化と、貧しい人の生活エリアに入ることを「風と共に去りぬ」の看板を通り過ぎることで示す。実際、劇中では風が吹きまくる。活気に溢れた街を車に守られながら進むが、鳥の死体が窓にぶつかってガラスに血が付く。

・薄いカーテンが生と死を隔てている。空爆とセックスをカットバックする編集は流石にあざとすぎる。
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