「死は生きるための前提」
誰かのサブカルチャー系のエッセイ本で著者が一番好きな映画として挙げていた作品。誰だったかは忘れてしまった。
前衛的でアート要素が多い作品だと感じた。表現方法に理解できない部分が多いけどどこか惹かれる求心力があり、若者の衝動感と不安や期待感の表出が面白く、コアなファンがいるのも納得できた。
田舎でだらしない生活を送る高校生たち。刺激の少ない毎日は生きながら死んでいるようなものだ。何の挑戦もない。エネルギーを持て余した若者は過激なものを求め、露悪的になっていく。田舎に不良が多いのはこういう構図で、平和と平凡の檻に「閉じ込められ」ないように必死で暴れるものだ。
この映画ではその檻を破壊してくれるきっかけが台風だった。台風はあくまで「きっかけ」であり、繰り返しの毎日を壊してくれ「そう」なイレギュラーであれば火事でも地震でもなんでもよかったのかもしれない。
ただし台風は火事や地震などの突発的な事象と違い接近を感じる時間がある。その時間の中で不安と期待感がない交ぜになり昂まった結果、あの狂ったような一晩になった。
台風による臨死体験で生きた心地を初めて味わう。台風が過ぎた朝に発せられた言葉「死は生きるための前提」という言葉がよかった。
死というものを知ることで生きることの輪郭がはっきりする。ヨーロッパ的にはメメントモリ、「死を想え」という言葉に表される。人間は比較からしか実感は得られない。
それは生死に限った話ではない。嫌いなものなければ特別な好きは生まれないし、つまらないがあるから楽しいと感じる時間が尊い。真っ白な部屋に白いものを置いてもなかなか見つけられないように、比較がなければ人は気がつけない。
だから人は自分と周りを比較して見下すもしくは憧れ、序列を作るのかもしれない。それがいじめや格差、承認欲求の根源かもしれない、と飛躍して考え込まされる映画だった。