荒澤龍

怪物の荒澤龍のネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

「組織という怪物」

素晴らしい脚本。すべて繋がっているのに繋がっていなくても意味を持つ構成。
序盤の全体像は見えないけど不気味な雰囲気が漂う始まりから問題が明るみになり最後のシーンで少しの希望を与えてくれる。そこに坂本龍一の美しい音楽が綺麗に感情を揺さぶってくれた。

映画の前半と後半で主題が異なる印象を受けた。学校という社会の縮図を舞台に前半は「切り取られた情報」、後半は「組織という怪物」という主題があるように感じた。


「切り取られた情報」
切り取られた情報はしばしばメディアやSNSを批判する文脈で議題に上がるが、この作品では実際に目にしたものでさえ、大きな流れのある一部分を切り取っただけに過ぎず、文脈を無視し自分の都合のよい解釈をしてしまう恐れがあることを提示している。

例えば母親の立場では、息子の言動から学校で辛い目にあっていて、それが教師によるものだと考えるのは必然であり、教師自身もそれを認め謝罪している。でも実際には息子のデマカセであり、事実とは異なる。教師は学校という組織の生贄のために事実ではないことを認めて謝罪しているだけであったのだ。
このように人間は自分の信じたい情報に符合する解釈をする性質があり、それがSNSなどでパーソナライズされた情報ばかりに触れることでより分断が進んでいくのが現代である。

秀逸なのは結局何が真実だったのか明かされない問題を残している部分だ。
例えば、孫を轢いたのは校長か夫かという問題は結局のところ明かされずに終わる。
現実はこの映画の鑑賞者のように、第三者として多角的にその場面を振り返ることはほぼ不可能で、事実が明るみにならない現実があることを示しているのかもしれない。綺麗事ではない勧善懲悪でない部分を描いているところも好感が持てた。


「組織という怪物」
この映画で話を複雑にしているのは教師が学校全体のために生贄となって事実とは異なることを謝罪した点だ。
これは紛れもなく個を滅し、組織を生かす行為であり、時に個の幸せより公共の福祉が重んじられるのがこの社会だ。
「みんなの幸せのため」という綺麗な言葉のもとに個のすべてが投げ出され、それが当然のこととされてしまう社会構造、それ自体を怪物としているように感じた。

これは戦争の特攻のような異常事態だけでなく、学校のような平時でも行われているあたり根が深く、自明のように「集団を形成しなければ生きられない人間だから組織を尊ぶのは当然」とされている。
たしかに個が自分の利益ばかり優先したら成り立たないけれど、それを漫然と受け入れるのもまた違うと一石を投じられたような気持ちになった。


怪物、理解しがたいほど不思議な力を持っている人や物。
ここで取り扱われている主題は人間の性や社会構造に切り込んだものであるがゆえに問題が巨大である。そのあたりに怪物のような恐ろしさを感じる。

またLGBTQやシングルマザーなどまだ社会的に立場の弱い者の設定を入れ込むことでその社会構造をより立体的に描いている。
荒澤龍

荒澤龍