ちろる

クレイマー、クレイマーのちろるのレビュー・感想・評価

クレイマー、クレイマー(1979年製作の映画)
3.9
ファミリードラマの傑作とされるこちらの作品には立場や時代によって様々な考察が出てくる、余白のある作品であるから面白い。
この物語の視点はまずダスティ ホフマン演じる夫からの描かれるせいもあって、一方的に不満を募らせて出て行く妻(メリル ストリープ)しかも幼い息子を置いてきぼりにしてまで自分の人生をリセットさせるジョアンナ違和感や不信感を持つ人が多いと思う。
実際、私も「なんて母親だ。普通息子は連れて行くだろう。」と思った。
慌てる夫、息子を蔑ろにするわけにもいかずうまく仕事と子育てを両立しようとするができないテッド。
挙げ句の果てに築き上げてきた地位もパーになるという、残酷な展開に単純にテッドに対して同情の念が増してしまうのだけれど、
ジョアンナとの調停から、そう思っていた自分の浅はかさに気がつく。
物語はジョアンナが一方的に何もかもを捨てて出て行くところから始まる。
それこそがある意味ミスリードでもあり、そもそも私はジョアンナがそこに至る過程を全く知らなかったことにハッとする。
ジョアンナの言葉から推測するに、テッドはおそらくジョアンナを自分の人生のサポーターのように要求した。
言葉が悪いが、自分の思い描く理想の形(美しく清い妻のまま子供を産み、家庭だけを守りながら夫を支える)の妻をなんの悪気もなく要求し、順調にキャリアアップして不自由なく生活させる自分は妻から尊敬されるべき存在だと驕っていたのだろう。
若く才能もある妻は自分の人生を歩みながら愛する家族を支えたかった。
それを伝えてもスルーされ続け、どうしようもなく身動きとれなくなって鬱状態になったジョアンナの冒頭の姿が、彼女の結婚生活の末路だったのだろう。
我慢の限界を超えて再出発するために、
(愛する息子に不安定な生活をさせられない。)
そんな思いがあの結果であるだろうし、そもそも「母親が息子を置いていくなんて!」と
母性を過度に期待すること自体がナンセンスなのかもしれない。
夫のステレオタイプであるテッドを責めるつもりもないし、そもそもこの作品を初めて観た頃、私は完全にテッド目線だった。
でも今回は描かれることのなかったジョアンナの葛藤を思うと彼女の身勝手さを認めてしまいたくなる。

夫婦間においても、違う人間なのだからそれぞれの正義があり、それぞれのフィロソフィーが存在する。
そういったものを平等に描こうとするのは矛盾が生じてしまい、非常に難しいのだと思うけれど、この作品はどちらの立場にもたつことのできる、とても均衡のとれた離婚ストーリー。
また、もう少し経って観てみたら自分の感想も変化するのかもしれない。
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