不在

パリのランデブーの不在のレビュー・感想・評価

パリのランデブー(1994年製作の映画)
3.8
空いている美術館に行くと、そこにいる人々が何とも滑稽に思える時がある。
皆で横一列になり、同じような姿勢で黙々と絵を眺めている。
人間らしさについて描かれた絵を観ているはずなのに、我々はまるで人間味のないロボットのようだ。
リズムのない淡々とした直線運動。
人や自然は本来まっすぐの線を持たない。
綺麗な長方形を描くセントラルパークに我々が違和感を覚えるのは、これが人工的に作られたものだからだ。
自然の木々や花々が、これ程までの規則性を持つはずがない。
では曲がりくねっている事だけが、人間や自然の証明なのだろうか。

思えば都会の街並みの、何と直線的な事か!
パリの建物はその殆どが白く、更に石造りで統一されている為に、特に人工的で冷たい印象が強い。
そこに景観の維持、つまり古い歴史を優先する政策まで加わり、今ここで生きている人間の存在は蔑ろにされている。
だからこそ人は、自然の花々やグラフィティアートによってその直線を乱し、この白の街を鮮やかに彩っていくのだろう。

この映画における男性は、まさにそんな直線的な生き物として登場する。
口は達者だが、平面的で単純で愚直。
3話の画家は人や自然をモチーフにしながら、平行で色味のない絵ばかり描いている。
そんな彼が、卓越した色彩感覚を持ち、線の扱いに特に優れていたピカソを褒め称える様子はまさに滑稽だ。

この男達は、女性との会話すらも平行線を辿る。
女性達は常に話をはぐらかし、曲がった道を選んで歩き、柵を乗り越える。
線を乱すのは女性の特技なのだ。
しかしここでは、むしろ男性の方が人間味に溢れている事に気が付くだろう。

直線には直線の良いところがある。
それは先まで見通せる視界の広さ。
全てお見通しという事だ。
そのせいで隠し事等はすぐにバレてしまうが、探している人を簡単に見つける事も出来る。
本作がランデブー、つまり待ち合わせや再会をテーマにしているのは、まさにこれを伝える為だろう。
まっすぐである事と曲がっている事、人間らしさにはそのどちらも必要なのだ。
不在

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