あらためて見ると、人の身体というものはあまりにも簡素、いたってシンプルで、所詮は遺伝子の設計図でしかないことを強く感じさせる。
しかしだからこそ、原始的な美しさが宿る。
反して精神は途方もないほど複雑>>続きを読む
キリストには友人がいたのだろうか。
自分の抱える苦悩を、同じ目線、同じ立場で理解してくれる人が。
イエスは我々を友と呼んではいたが、胸中を打ち明けたことはない。
それに、今の私たちにそんな資格もないだ>>続きを読む
私たちを繋ぎとめる、ただひとつの存在。
形なき、愛と呼ばれるなにか。
人間は目に見えないものに永遠の信頼を置けるほど、優れた生き物ではない。
それでも求め、すがり、繋がねばならない。
自分も所詮は動物>>続きを読む
近代化、経済成長、資本主義。
人が人のために選んだものが、結局は人を幸福から遠ざける。
彼らが用意すべきものは、目隠しと耳栓だ。
この世のすべてを見たり聞いたりする必要はない。
他者との疎通には、曖>>続きを読む
同じ女性を二人の女優が演じることで、主人公である年老いた男が女性を欲望の対象としてしか見ていないということを見事に表現しているが、それよりもこの女はブニュエルが考える、現代の宗教の姿なのではないだろう>>続きを読む
大戦の終結後、人々はただ生きることに必死だった。
それまでの文明は一度破壊され、原始的、動物的な本能によってのみ、人は生かされていた。
しかし戦後のめざましい復興が、人類を再び物質の世界へと誘っていく>>続きを読む
はっきりとした輪郭をもたない小さな村。
そこにあるすべてものは絶えずゆらぎ、たわみ、きしむ。
何ひとつとして同じ形のまま留まっているものはない。
その田舎の村は、とある男の故郷だった。
自身の浮気が原>>続きを読む
法律のみに目を向けるならば、ここ日本では死別した配偶者の葬式が終わった直後にまた別の誰かと結婚しても、なんら問題はないということになっている。
この当時のイタリアがどういった取り決めをしていたかは分か>>続きを読む
誰もが羨む、豪奢な暮らし。
足を踏み入れてはじめて分かる、そのむなしさ。
金に取り憑かれた人間の行く末は、あらかじめ決められているかのようだ。
ジャンヌ・モロー演じる美しき小間使いも、空虚なブルジョワ>>続きを読む
壁、窓、柵、扉、または雨。
世界を遮断し、分断するもの。
見ることはできるが、聞こえることはない。
聞くことはできるが、見ることは許されない。
終わりのない反復記号に幽閉され、世界から少しずつ切り離さ>>続きを読む
管理されてるにしては自由、しかし自由と呼ぶには管理されすぎている不思議なキャンプ場。
ここでのシステムが一切明かされないので、人々が行う生理的な、本能的行為だけが際立つ。
それでも社会は成り立ち、やが>>続きを読む
不運な出来事というやつは、なぜか立て続けに起きるようになっている。
だからこそ人間は、ほんの少しの幸福を喜べるようにつくられた。
エテックスは不幸の連鎖の中に、わずかな幸せを散りばめていく。
たとえお>>続きを読む
ある日主人公の男の元に、恋人から別れを告げる手紙が届く。
プライドを傷つけられた男は、彼女に対する抗議文を書こうと試みるが、どうにもうまくいかない。
作品の中では物理的に書けないように描かれているが、>>続きを読む
『吸血鬼』というタイトルながら、昨今私たちが想像するようなベラ・ルゴシ的キャラクターは登場せず、あくまで人間と、それらに忍び寄る死のみを描いていく。
この作品においてドライヤーは、宗教的なイメージを意>>続きを読む
人間は機械とは違い、全く同じ動きを繰り返すことはできない。
ただ歩くという動作にしても、足の角度や歩幅、すべてが少しずつ異なる。
移ろい続け、二度とあらわれることのない美しさを留めておくために、人は映>>続きを読む
主人公の冴えない男、天文学者のピエールは両親に結婚を急かされていた。
彼は端正な顔立ちをしているものの、不器用で間が悪く、人の気持ちがよく分からない。
だからなのか、宇宙や天体にばかり夢中で、地上で起>>続きを読む
人間よりも家畜の方が多い、山奥に住まう人々。
しかしどこに暮らそうとも、人の所作の美しさ、営みの尊さは変わらない。
アコーディオンが同じフレーズを絶えず奏でる。
そこには少しの悲壮感もない。
幸福とは>>続きを読む
ドイツ人は仕事を終えて家に帰ると、仕事を題材にしたテレビゲームをするというジョークを、以前目にした。
カウリスマキの作品は、自分がこの世界の主人公であることを思い出させてくれる。
「見てる人は見てる」>>続きを読む
イカした革ジャンでめかし込んだ男がバイクに女を乗せ、町を疾走する。
バーンと景気良くタイトルが出たと思ったら、あんなに威勢のよかったピストンがストロークする音は、ミシンが奏でるリズムへと変貌してしまう>>続きを読む
人はいつ魔女になるのか。
信じるものが、すべてなくなった時だ。
神への畏れすら手放した、その瞬間だ。
誰が魔女を作り出すのか。
火あぶりなんかとは無縁だと、神に誓える奴らだ。
本当の魔女は誰なのか。>>続きを読む
カウリスマキが戻ってきた。
我々に伝えなければならないことが、まだまだあるらしい。
彼は今、冷たい時代にふらっと現れ、愛を説くだけ説いたら再び天に還ってゆく、ちょっとしたキリストのような存在になりつつ>>続きを読む
劇中で様々な事が起きながらも、結局は一人の男のために多くのものが犠牲になったという事実だけが残ってしまった。
彼が今回の件で少しでも大人しくなってくれることを願う。
違法な賞金稼ぎたちが跋扈する町に、一人の殺し屋が降り立つ。
その男は凄腕のガンマンであり、彼が通り過ぎた後には静寂しか残らないことからサイレンスと呼ばれ、その名を轟かせていた。
しかし復讐の産声が上が>>続きを読む
主人公レオンがアンナの足に赤いペディキュアを塗り始めた時点で、観客はこれが純愛物語ではないことにはっきりと気が付くだろう。
彼はあの時強姦していたのが自分だったらよかったと思っており、犯されている彼女>>続きを読む
人は常に還る場所を探し求めている。
そして死だけがその答えなのかもしれない。
永遠なる死、死なる永遠こそが我々の還るべき場所なのだろうか。
かつて詩人は、永遠と一日に違いはないと詠った。
詩によって人>>続きを読む
1976年12月31日、狩人の一行がその日の狩りを終えて帰路につく最中、とある男性の死体を発見する。
その遺体はギリシャ内戦時、左派の叛徒、レジスタンスとして右派と争ったゲリラ兵のものであり、たった今>>続きを読む
旅芸人とは即ち、寄る辺なき芸術家だ。
ここでの芸人たちは宿を転々としながら旅を続けていく内に、帰るべき祖国、更にはそれに依拠して形成されていたアイデンティティすらも失くしてしまう。
彼らは生まれ育った>>続きを読む
主人公トゥリオは死というものを分かっていない。
正しくは亡くなった人に対する、人間の感情をよく理解していないようだ。
例えば二人の兄弟がいて、弟が死んでしまったとしても、親の愛情の全てが遺された兄だけ>>続きを読む
主人公ジェップは初恋の記憶に人生を支配され、数十年経った今でも前を向くことができないでいる。
本を書いた理由も、今は書けない理由も、下らないパーティに明け暮れているのも、60を過ぎても結婚せずに女の人>>続きを読む
長年娼婦を続けてきたマンマ・ローマ。
恐らくは戦争の影響で、そうすることでしか生きられなかったのだろう。
彼女は離れて暮らしていた息子を引き取る際に、そんな後ろめたい仕事にけりをつけ、市場で商売を始め>>続きを読む
前作にあたる『桜桃の味』は、自身の死を望む男がどういった形でそれを叶えるのかを気長に見守るような作品だったが、本作では首都から遠く離れた村で、とある老婆に訪れる死を待つことになる。
しかもその集落では>>続きを読む
表現主義とは、実際に目の前に広がる世界ではなく、人の内面について描こうとする芸術運動であり、20世紀初頭のドイツから始まったとされている。
この映画ではそれを映像で表現しており、とにかくセットが現実離>>続きを読む