三樹夫

機動戦士ガンダムの三樹夫のレビュー・感想・評価

機動戦士ガンダム(1981年製作の映画)
4.1
ガンダムは本放送では視聴率が伸びず打ち切られるも再放送とガンプラで火が付いたというのはよく知られている。企画段階でこれまたTV版は低視聴率のため打ち切られた『宇宙戦艦ヤマト』を分析して、内容は面白いのに視聴率が伸びなかったのは年齢層を上げ過ぎたせいではないのか、じゃあガンダムは年齢層を下げようというのでメインのキャラクターは少年少女になったが、熱心なファンを獲得しながらもガンダムは打ち切りとなってしまった。視聴率伸び悩みの状況が制作現場にとって何の影響がないわけではなく、スポンサーなどから富野由悠季はボコボコに叩かれることになる。板野一郎によると、由悠季は毎日スポンサーからのお叱りの電話を受け謝っていたとのこと。ロボットをモビルスーツと呼ぶSF要素がガンダムをリアルロボットたらしめる一要因となっておりファンの心をくすぐるが、当時は出版の人間からロボットをモビルスーツとか言っちゃうんだもんね~と死ぬほど嫌味を言われたと、猟奇殺人鬼みたいなすんごい目をして由悠季がインタビューで答えていた。
しかし由悠季の子供を舐めない作劇と熱意は伝わり、大逆転勝利で再編集と新規カット追加の映画版も作られることとなりヒットもするが、由悠季はファンが観に来ただけ、アニメを観ない人たちに届いていないので社会現象を起こしたわけではないとツンデレな態度。
劇場版3部作のこの1作目はかなり再編集版感が強いが、由悠季もそこのところを自覚しているようで、次作からコツを掴め出したとのこと。打ち切りになったとはいえ全43話が映画3本分に納まるわけはなく、ククルス・ドアンの島、ガンダムの合体の練習、ギャンやザクレロなどの話がカットされることになる。ちなみにザクレロはもうそろそろMSとMAのネタ切れをおこしていて、作り手側もこれは無茶苦茶と思っていたみたい。実はガンダムは合体ロボで、TV版だとこの機能のせいで苦労しそのため延々練習するというスポンサーへの嫌がらせと反発のシーンがあるが、由悠季はよっぽどスーパーロボットものにはしたくなかったのだろう。
元々はホワイトベースなどの戦艦のみでMSは出ない予定だったのが、ロボット出して戦ってほしいとスポンサーのクローバーからの要請で、『宇宙の戦士』からパワードスーツの要素をサンプリングしMSが誕生、近接戦闘は剣での戦いということで『スター・ウォーズ』からライトセイバーをサンプリングしビームサーベルが誕生となる。MSは全長20メートル以下のあくまで強化外骨格的な兵器であり、全体的に武骨でもっさりしたデザインも全ガンダムシリーズの中で一番兵器感が出ている。そういった所がガンダムをリアルロボットたらしめるというか、わりかしスーパーロボットなところもあるがリアルロボットと思える要素となっている。またガイドビーコン、艦内の移動用のレバーや鳥もちで穴の補修などSF的アイディアがガンダムはリアルロボット感を高める。

サイド7脱出から、ほぼ少年兵と民間人だけでガンダムとホワイトベースをジャブローまで届けろ、連邦がやべーMS作ったと追うシャアというので、サイド7からジャブローまでの道中に起こるいくつかのエピソードがこの映画になっている。サイド7脱出、大気圏突入、ガルマ、母親と再会、対ランバ・ラル(1回目)、ギレンの演説までが描かれる。
冒頭の段階で半端じゃない数の民間人が死にまくる。ジオンも連邦もクソだな、もっと言えば戦争クソだなという反戦になっている。連邦はこの後のシリーズでもずっと腐っており、ジオンも大概なのだが、連邦は腐りまくってジオンの側にわりかし話の分かる大人がいるというあたりバーホーベンの描き方と近いところがある。戦争で親を殺され少年兵に無理矢理なるしかどうしようもない子供たちという、戦いに巻き込まれることの嫌悪感などガンダムは反戦要素が強い。
ガンダムは元々美形キャラ好きの大人のおねえさんに支えられたと言われているが、視聴率が伸び悩んだ時のプロデューサーの案も、キャラが人気だしそこのところを押し出すというのを考えていたあたりおねえさんに支えられたというのは大きいのではないか。シャアとガルマのやり取りが、シャアがシャワー浴びながら会話したりこんなのBLにしか見えん。いかにも美形っていう、薔薇を一輪持ってフッと笑うみたいな風貌の中性的な美形って人気根強いよね。平成になっても幽白の蔵馬が大人気だったし。ガルマは前髪イジイジして未熟な坊やということが表現されている。
アムロの母親との再会は由悠季作品の特徴の嫌な母親感が出ている。子供の都合を考えずエゴと綺麗ごとを押し付け無自覚に自分は白い側でいようとするいやーな感じ。由悠季は母親が完全に嫌いというわけではなく、本当は甘えたいけど甘えられないというこじらせたマザコンなのだが、そこで出てくるのが母親の代替となる年上の女性だ。一番分かりやすいのはZのエマ・シーンで、カミーユのマザーコンプレックスに手を貸すのが怖いという台詞を言ったりする。アムロにとっての母親の代替は誰かというとマチルダだ。ブライトとマチルダがニュータイプについて話しているところに何故かアムロがやって来たのは完全にマチルダ目当て。その後、アムロがマチルダの元へと抜け出したことを察していながらもどこへ行ってたのか訊ねるフラウと、真意を台詞にせず観る者が読み取るこのシーンは、あぁ映画を観ているという気持ちになる。
ギレンの演説はこんなのただのナチやんけと、演説に限らずそもそもジオンはナチスのイメージなので、ジオンもいやーな感じが漂う。連邦は言わずもがな。

オールドタイプとは地球の鎖に縛られた人々、ニュータイプとは人類の革新で、地球の重力の鎖から解放された新人類だが、ではどうやれば人類はニュータイプになれるのか地球の重力の鎖を振り解けるのかというと、地球を壊すぐらいのどでかい喪失をやって初めて地球の重力の鎖から解放されるという、由悠季の喪失によりニュータイプへ理論+人類はニュータイプにならねばならない論はこれ以降も繰り返される。ニュータイプ云々は2023年のサンデーステーションの対談でも言ってた。逆シャアなど由悠季はこれ以降も地球を壊そうとする。
アムロはMSに乗っている人間を殺すことはできるが、生身の人間を殺すことはできない。その為サイド7では脱出する生身のシャアに狙いを定めることはできなかった。MSに相手が乗っていると殺人という感覚が薄まる。しかしついに生身の人間を殺すまで追いつめられる。最初はガンダムのとんでもない性能に助けられていただけだが、どんどん覚醒していく。バズーカにヒートロッドが巻き付いた瞬間これはやばいと投げ捨てるなど、映像でアムロのパイロット能力の向上をしっかり見せている。しかしそれは同時にマシーン化していっていることでもある。生身の人間の殺人というアムロの中での大きな喪失もニュータイプへの覚醒に寄与しているのだろうか。
アムロはガンダムに乗りたくねぇというのがありながらも、自分だけがガンダムに乗れるとガンダムに乗れることをアイデンティティ化している部分もある。乗りたくないけど、乗りたくないわけでもないみたいな複雑な感情。

由悠季の演出の特徴に画面分割がある。MSを映しつつも画面が分割し同画面内にパイロットの顔も挿入される演出だ。この演出によって話の勢いを落とすことなくキャラクターに台詞を言わせることが出来る。
主題歌はまさかのやしきたかじんで、作詞作曲は谷村新司という無茶苦茶な布陣。特にサビがあー谷村新司だなとなる曲。やしきたかじんの黒歴史というネットの記述もあるが実はネタにしてテレビでも何度か話してたりする。よく言うのは、ライリーライリーってどういう意味やねんと笑い話にしている。作詞作曲は禿茶瓶とも言っていた。
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