シゲーニョ

サスペリア PART2/紅い深淵のシゲーニョのレビュー・感想・評価

サスペリア PART2/紅い深淵(1975年製作の映画)
3.9
「トラウマ映画」と一口に言っても、人それぞれ、色々な定義があると思う。
「観ている間に気分が悪くなり、観終わっても苦痛が残る映画」、「なんで観ちゃったんだろうと後悔する映画」・・・。

自分の場合は映画館よりも、夜中、実家のTVで観たものが多い。
家族と一緒に流し見ている分、映画館よりも気持ちが緩んでいるのか、突然想像だにしないショッキングな描写が映った時のインパクトは尋常でなく、観終わった後にも、自分の理解を超えた「変なもの観ちゃった!!」という感覚が、慣れた家のどこに居てもしばらく離れず引きずることが、その理由だと思う(一人でトイレに行けない、部屋を暗くして寝ることが出来ない等・・・)。

これまでに片手で数えるぐらい「トラウマ映画」はあるが、全て多感期に観たものであり、その内の1本が本作「サスペリア Part2 (75年)」だ。

思い起こせば、それは高一の秋、荻昌弘氏解説の「月曜ロードショー(TBSテレビ)」で放送された・・・。

大抵の方はご存知と思うが、
本作はあとから作られた「サスペリア(77年)」が日本では先に公開され大ヒットしたことで、その続編とした方が売れるだろうと、当時の配給元(東宝東和)が勝手にタイトルを変えて78年に劇場公開(ちなみに原題は「PROFONDO ROSSO/紅い深淵」)。

もちろん、ストーリーや登場人物に関連性などある筈がない。

香具師のような配給会社が、安易に「二匹目のドジョウ」を狙い、純粋無垢な日本人ホラー映画ファンの大事な小遣いを騙し取った、イカサマ寸前の暴挙だった・・・と思う(笑)。

当然そんな事など露程も知らぬ当時の自分は、続編だと信じ見始め、徐々に違和感を感じ、がっかりし始めてきたその時!!!

ネタバレになりそうなので詳細は伏せるが・・・

熱湯責めで顔の皮膚が焼けただれ、その口元から○○が流れ落ちるシーン。
(この時、親父は「トイレに行く!」と席を立ち、二度とTVの前には戻って来なかった・・・)

犯人が獲物となる男性の口を、硬そうな調度品の角に何度もぶち当てるシーン。
(バツが悪くなったのか、母は「こんなもん観てないで早く寝なさい!」とTVのスイッチを切ろうとした・・・)

そして終盤、エレベーターに巻き込まれたネックレスが首の皮にドンドン食い込み、しまいには口から白濁の○○が流れ出るシーン。
(この時、一緒に観ていたのは年の離れた姉一人。その時のパニックを起こしたような姉の表情は今でも忘れないし、夢にまで出てくることもある・・・)

このような残酷シーンは、脚本家として招かれたベルナルディーノ・ザッポーニ(「世にも奇妙な物語(67年)」)が、監督ダリオ・アルジェントにアドバイスし、具現化されたものだと言われている。

ザッポーニ曰く、「普通、銃で撃たれたり、ナイフで刺されるような経験は滅多に無いから、その痛みを頭の中でイメージ出来る人は少ない筈だ。ならば、頭を熱湯の中につけられたら・・・机の角に顔をぶつけたら・・・、それらは、観る人々に生々しい痛みを感じさせる事が出来るだろう」

流石にネックレスで首を絞め落とされることなど中々ないが、自分がインパクトを受けたシーンは何れも、誰もがイメージできる「痛み」が描かれている。
観ながら痛覚を思いっきり刺激されるような感じを初めて体験したのが、本作であり、それが「トラウマ」となってしまったのだろう。

但しだいぶ大人になった頃には、不謹慎ながら「死に様の面白さ」みたいに感じられ、DVD鑑賞時には、何度も巻き戻して楽しめるようになったが・・・。

「サスペリア」がオカルトホラーだとすれば、本作は異常者による惨たらしい連続殺人を描いたミステリースリラー。

本来ミステリー映画にはストーリー展開や犯人側のトリックなどに、それ相応のリアリティ(=理屈の通った謎解き)が求められる。
しかし、アルジェントはヒッチコックのような視覚的イメージに傾倒しつつも、自身の妄想や閃きから物語を構成する事が多く見られ、リアリティよりも、視覚的インパクトを重視している。

惨劇直前に犯人が、子供のハミングによる牧歌的な歌(ジョルジオ・ガスリーニの名曲「夜の学校」)を流したり、扉がバーンって開いたら飛び出してくる笑い人形を仕掛けたり・・・等々。

殺害するのに、わざわざこんな面倒なことをする必然性は無いはずだが・・・・(笑)。

理屈で考えればツッコミどころは幾つもあるのだけれども、アルジェントの描く「映像が持つ力」に思わず身震いし、納得させられてしまうのだ。

劇中、事件を追う新聞記者ジャンナ(ダリア・ニコロディ)が不審な音を聞いて驚くシーン。「どうした?」と聞かれ「うまく説明出来ない」と応えるが、本作のあり様を一言で表す絶妙な台詞だと思う。


最後に
残酷シーン以外に印象に残った場面として・・・

本作の序盤、デヴィッド・ヘミングス演じる主人公が酔いつぶれた友人を介抱する場面に映るカフェ。エドワード・ホッパーの「ナイトホークス aka 夜更かしする人々(42年)」の雰囲気を強く想起させる絵面だ。

ホッパーは30年代から50年代のアメリカで人気を博した画家で、映画作家たちに影響を与えたことでも有名。

「線路わきの家(25年)」をヒッチコックが「サイコ(60年)」でノーマン・ベイツの家として模してみたり、リンチの「ブルーベルベット(86年)」冒頭、真っ青な空と白い板塀の家のビジュアルの源泉となっているのが「真昼(49年)」であることはまず間違いない。

中でも「ナイトホークス」にインスピレーションを受けた映画は多く、本作の他に、ウイリアム・フリードキンの「ブリンクス(78年)」やウォルター・ヒルの「ザ・ドライバー(78年)」、デ・パルマの「ミッション:インポッシブル(96年)」、最近ではアントン・フークアの「イコライザー(14年)」でデンゼル・ワシントン扮する主人公が娼婦テリーと出会う深夜のダイナーなどがある。

勝手な推察だが、こうして見ると、ホッパーを敬愛する監督は「暴力」や「サイコパス」を好んで題材にする人物が多い。
ホッパー独特のタッチ(一見、暖かくも柔くも見える風景の裏に描かれた「闇」)が、彼らを魅了させているのかもしれない。

ただし・・・南佳孝が自身のアルバム「Seventh Avenue South(82年)」で、この「ナイトホークス」をなぜジャケット使用したのか、その理由は理解不能である・・・(笑)。



追記 :

全く関連性が無いのに続編のような邦題をつけるパターンは「マカロニ・ウエスタン」になると激増する。
「続・荒野の用心棒(66年)」とか「新夕陽のガンマン/復讐の旅(69年)」とか・・・・。
そもそも製作国のイタリア自体が、「売れたものにはすぐに便乗しろ!!」というお国柄なので仕様がないことなのだが・・・。

また、これまでの拙文のため「サスペリア Part2」が「13日の金曜日(80年)」や「血のバレンタイン(81年)」のようなスラッシャー描写メインの作品と思われるかも知れないが、本作の主人公が「重要なところを見落としている」など・・・類似点含め、横溝正史ファン、特に市川崑の「悪魔の手毬唄(77年)」がお好きな方には、是非ご覧頂きたい作品である。