ROY

ジャズメンのROYのレビュー・感想・評価

ジャズメン(1983年製作の映画)
3.9
ソ連製ジャズ映画

1920年代の黒海沿岸の町を舞台に、ソビエト最初のジャズバンド結成の夢に燃えた4人の男たちの姿を描く。

英題は『We Are from Jazz』

「Mosfilm」公式YouTubeチャンネルで鑑賞(日本語字幕あり、4K対応)

■INTRODUCTION
1920年代、ソヴィエト・ジャズ草創期。ジャズの虜になったために音楽学校を退学させられた主人公が仲間を見つけ、ソヴィエト最初のジャズバンドを結成するまでを、豊富なジャズ音楽とともに綴る。『陽気な連中』とあわせて見て欲しい。(「神戸映画資料館」より)

1920年代のオデッサ。「ジャズはブルジョワの音楽」だった時代にジャズバンドを結成する若者たち。“アドリブ”の意味がわからない仲間たちとのはじめての野外ライブの失敗。そしてオーディションへの挑戦。音楽と仲間の楽しさをほのぼのと描いた青春映画の佳作。

■STORY
ソ連の港町オデッサに、1920年代、ジャズがソ連にもやったきたころ、ジャズ・プレーヤーを目指した一団があった。革命後まもなくの社会背景にもまれながらバンドを結成、モスクワまで進出するのだが……。

■NOTES
『ジャズメン』-ある音楽の歴史

V・セミョノフスキー

レオニード・オシボヴィチ・ウチョーソフ(訳注-1895年、オデッサ生れ。ソビエト最初のジャズオーケストラ“テア・ジャズ”の創設者でソリスト)は冗談とは言え、まるでジャズがオデッサのマールイ・アルナッキー街に生まれ、のちにアメリカのニグロの鋭敏な耳に伝わったかのように断言していた。だが冗談にもそれなりの理由はある。事実、革命前のオデッサでは、結婚式などで糧を得ていた。殆んど譜面なと読めない、貧しい楽士たちが即興でメロディを演奏し、自由に変奏を行っていた。それは評価されていなかったが、 疑いもなく洗練されていた。即興の文化はレオニード・オシボヴィチの血にも流れていた。かれはその文化を受け継いだのだ。若い日には-本能的に、ただ魂の叫びに従う。長じては-多種多様だが、互いに浸透し合っているメロディの伝統を貫く永遠の運動のフォームに思い致る。そしていつの時代も-貧しい生れであるがゆえに卑屈になることはなかった。ここに、音楽的な感覚に“低い”と“高い”、“軽い”と“重い”、“自分”と“他者”の境界を許さない。巧まねかれの至芸があったのである。ジャズは借りものの音楽と言われた時、かれがなぜ憤激し、悲嘆にくれたかを説明するにはおよばないだろう。

“ジャズはどこで生れたか”と言う、ウチョーソフのおどけたナンバーに、注意深い人は常に、アーティストの真剣で切実な情熱を、かれの魂の集中を、かれの運命のライトモチーフを認めるだろうが、この歌はおそらく脚本家のアレクサンドル・ボロジャンスキーと監督カレン・シャフナザーロフにも、ソビエトジャズのパイオニアを描く、かれらの映画の基調を示唆したことだろう。かれらにとって重要なことは、かつてウチョーソフにとってそうであったように、ジャズがどこで生まれ、実際はど
んな風であったかではなくて、ジャズが何の理由で生まれ、どんなエネルギーを解放することができるかである。

映画は誰かの自伝を直接、連想させはしない。或る歴史のあらゆる複雑さを包みこんでいるのでもない。だいたい、歴史とかエポックには幾らかの虚飾はつきものである。だが、それは事実を回避しはしない。おそらく、テーマに対するファンタジーなのである。ファンタジーは演劇化された現実のようなものである。

『ジャズメン』は立派な、誠実で、“チャーミング”な仕事である。これは『サーカス』(36)や『愉快な連中』(34)(訳注-いずれもグリゴリー・アレクサンドロフ監督作品)を想い起させる。 全体として、この新しい作品にはこれら二つの作品に特徴的なパラドックスが欠けているかもしれないが、対照してみることは、 ウチョーソフのジャズ感と同様に正しく、必要なことなのである。なぜならばここには伝統を復活させ、受け継ごうとする試みがあるからである。

(雑誌『エクラン』より抄訳)

■COMMENTS
そういえば新たに英語版「Mosfilm」チャンネルが開設された。ロシア語が読めない私にとってはすぐに作品名が分かって嬉しい。

野口久光さんが書いた『ジャズの黄金時代』(2017)や岡島豊樹が書いた『ソ連メロディヤ・ジャズ盤の宇宙』(2021)でも本作が引用されているらしい。

ラリサ・ドーリナ演じるの黒塗りキューバ歌手
ROY

ROY