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トリコロール/青の愛のKengoTerazonoのレビュー・感想・評価

トリコロール/青の愛(1993年製作の映画)
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葛藤が表にでないようにして描くメロドラマといったところだろうか、、、?ピノシュが愛によってどんどんすり減らされ、縛られ、がんじがらめになっていってるような気がした。

フィルターやレンズの歪み、極端に浅い被写界深度がその人の完全なる主観としてのPOVになる。

顔のクロースアップが多すぎるくらいあるが、それによって顔が支持体としての役割を帯びている。青や緑の光がスクリーンとしての顔に投影され、それによって通常の光や逆光による影すらも投射物になる。そのような光(あるいはその裏返しとなる影)は顔の一部に投影されることもあれば、顔を覆い尽くすことも、そして顔からはみ出ることもある。

『めまい』のような緑と青が支配する空間で、ピノシュとレジャンが互いの顔を近づけ合うのを横から撮っている時、レジャンの顔の片面は光が当たっていたのに、ピノシュのそれは完全に逆光になっていたのが印象的だった。これは後のシークェンスで逆転しているし、誰かを照らす光が、向かい合う誰かの影になっているショットは多い気がする。加えて被写界深度の浅さは平面性というよりも色彩を強調する。その究極の形がレジャンの部屋における、ピントが全く合っていないショットだろう。

性と赤の結びつきも印象的だが、ピノシュとレジャンの情事は青、もしくは青と緑だ。ピノシュやレジャンの部屋は青と緑が一貫して支配しているが、レジャンが曲をピノシュのものとして発表することを提案するとき、普通の白い照明が彼の部屋を支配している。

フェードアウト・フェードインがピノシュの決断の表象になっているのもおもしろい。ゲームの選択肢画面としての黒という感じ。
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