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曽根崎心中のKengoTerazonoのレビュー・感想・評価

曽根崎心中(1981年製作の映画)
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人形浄瑠璃の舞台を撮影したものかと思ったら、人形浄瑠璃で人形劇映画をやっていた。とても楽しかった。
何が楽しいって、目の前に人形たちの世界が広がっているのが楽しい。舞台ではまず味わえないから。後景には上方の夜の街がずっと続いていて、そこに色んなエキストラ人形が黒子と一緒に歩いている。絵画をキャメラで撮った時、絵画の世界がフレームの外へと延々に広がっている心地になるが、それと似ている気がする。普通なら舞台セットには端のあるのに、スクリーンというマスクで切り取ることで、逆説的にその世界から端が消える。

ショットの長さのリズム感が心地よかった。芝居を長回しで撮る事で、芝居の呼吸とキャメラワーク(回り込んだり、ドリーイン/アウトをしたり)が連動してグッと物語世界に引き込まれる。人形のクロースアップが、顔に浮かび上がる影の濃淡や、瞬きの具合、アングルなどと相まって本来人形にあるはずのない感情が伝わってくる。ショットの息の長さ/短さのリズムやキャメラワークが人形を役者にしているのだなと思った。

セットがすごい。浄瑠璃は三人繰りのため、人形プラス黒子3人が入らなければならない。階段があればその階段は人も上り下りするし、人形が過ごす屋内にも人が入っている。だから単にセットが豪華なだけではなく、そのデカさが際立つ。加えて人形のデカさも際立った。

人形の痙攣するような動きが印象的。指先や肩が震えていて、そこに感情が乗っている。

舞台なら舞台上にいるはずの義太夫が、ずっとフレームの外にいる。そして、義太夫がフレーム内の声(フレーム内にいる人形たちの会話)、フレーム外の声(例えば「火の用心」)、オフの音声(人形の動きや擬音、擬態語を語りで伝える)を全て司っているのが興味深い。舞台ならそんなことを考えずに義太夫の語りを聴くはず(セリフと語りの違いは意識するだろうが)なのに、映画にしたとたん声に仕切りが生まれる。
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