レインウォッチャー

ロード・オブ・ドッグタウンのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

4.0
70sのスケートボードカルチャー革命を題材にした青春群像。
クールで理性的な技巧派ステイシー、ロックスター的な華と寂しさが同居するトニー、最もストリートを体現する野生派のジェイ。

彼らには実在のモデルがおり、各々がスター・スケーターだった。今作は、ただの悪ガキグループだった彼らが見出され、瞬く間に一大ムーブメントを興したのも束の間、ビジネスという大人の世界に食い荒らされるように消費される様を描く。
まさにボードで坂を滑り抜けるような、刹那のひととき。彼らの若さと情熱が加速度をつけ、陽射しとスポットライトに焼けた地面との摩擦でスパークする。照らされた顔の影は、いくらか擦り減ったとしても、仲間とスケートできる場所を探し歩いていたあの頃のままだ。

モデルの本人たちが映画作りにも関わっているおかげか、スケーティングの技をとらえたスピード感・ドライブ感満点の映像に心を掴まれる。思わず画面の前で首や肩が動いてしまうような迫力で、彼らと視点を共有できる。
こうして再現された、スケートならではの気が抜けない一触即発のスリルは、快感であると同時に彼らのホモソーシャル的な青さ・危うさと直接結びつく。だからこそ目が離せないし、序盤から何か先に待つ「終焉」のようなものを予感させもする。

この道はまた、この後待ち受けるスケートブームの衰退にも続くものかもしれない。現代ではオリンピックの一種目になるほどスポーツとして再興したスケートだけれど、80sは不遇の時代だった。
その流れは70sの急激な加熱の反動のようなものであり、ステイシーたちの儚い青春の姿そのものだ。

しかし、傷つき疲れてもなお彼らは再びスケートの名のもとに帰ってくる。

ヒース・レジャーが(常にマリファナが鼻に詰まってるような声で)演じるサーフショップの店長・スキップは、彼らをフックアップする指導者かつダメな大人代表みたいな存在だけれど、その不変なポリシーはなんだかんだスケートボードの神のような存在感で今作を包み込んでいる。
ステイシーたちを引き戻す重力は、スキップが体現するスケートやストリートやカリフォルニアへの、つまりはそこで時間を共有した人々へのクサレ縁的愛情に他ならない。

今作は青春や名声の功罪両方を描きつつ、最終的には大きな流れの中で「良きもの」を手に取っている。それは単なる美化ではなくカルチャーの未来へ託した祈りに近いものであり、観た後には日焼けあとを撫ぜる軟風(zephyr)が胸を通り抜けてゆく。

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時代を反映した音楽が彩るプレイリスト映画としても見逃せない。
今ならスケートといえばパンクやヒップホップのイメージが強いけれど、今作の舞台となった70s半ばはいずれもまだ黎明期。代わりに数々のロッククラシックが彼らの着火剤として機能している。

冒頭から夜を燃やす炎がゆらゆら立ち昇るようなジミ・ヘンドリクス『Voodoo Chile』で幕を開け、地方のコンテストでは「俺はこれで滑るぜ」とブラック・サバス『Iron Man』をかけて審査員を仰天させる。このような、軽快というよりは重ための楽曲が目立ちどころで選ばれているのは興味深い。

ラストにはスパークルホースがピンク・フロイドをカバーすることで(当時の)現在と過去を繋ぐ役目を果たす。しかし、さらにその後スパークルホースが辿った運命を考えると、『Wish You Were Here』はまた別の余韻をもって響き、今作が示す「人生の先行きの見えなさ」を図らずも補強している。