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フォレスト・ガンプ/一期一会のamのレビュー・感想・評価

4.2
生まれながらハンディキャップを持ちながらも、どんな時も真っ直ぐに生きるフォレストの奇跡のような成功譚。それだけだったら単なる聖人の美談に終わるが、一方で織り成されるジェニーの物語に焦点を当てるとぐっと深みが増す。

恥ずかしながら、フォレストの真摯な愛情から逃げ続けて転落していくジェニーに対し、最初は「愚かだなあ」「フォレストはこんな女に振り回されて可哀想に」くらいの印象しか持たなかった。
ただよく考えてみれば、人間ってそういうものだ。
自分の中の弱さや愚かさや後ろ暗さに翻弄されて、それでも正しく在りたいと葛藤して、また道を踏み外しては葛藤して……というのが真の人間らしさであり、決してジェニーの生き様を蔑むような事はできない。
彼女が幼少期の(おそらく性的)虐待により自分の事を"汚れている"と思っていたとすれば、あまりにも清らかなフォレストに真っ直ぐ向き合えなかった事も、自暴自棄気味に堕落していった事も納得がいく。
フォレストの純真無垢さは人間離れしているし、その強運さも現実離れしているが、だからこそ対照的に人間らしくもがくジェニーの人生と交差する様が胸を打つのだ。


また、後から振り返ってしみじみと「上手いなあ…」と感じたのは二人が抱える"呪縛"の描き方だ。
フォレストは「知能指数が低い」というハンディキャップに、ジェニーは幼少期の虐待というトラウマに縛られながら生きているのだが、それに苦しむ様が直接描写されることはほとんどない。
終盤になって、
『ジェーンがかつて父と暮らした家に石を投げつけながら泣き崩れるシーン』
『フォレストが息子の存在を初めて知らされた時に震え声で「頭は、いいのかな」と懸念するシーン』
でようやくそれぞれが抱えてきた根源的な苦しみが露わになる。
はたから見たら享楽的でだらしなく堕落しているだけのように映ったであろうジェニーは、泣き叫びたいような苦しみを一人で抱え続けてきた事、
あっけらかんと生きているように見えたフォレストは、実は自身のハンディキャップをずっとずっと気にしながら生きてきたこと、自分が晒されてきた「バカ」という心無い誹りにずっと囚われて人知れず苦しんでいたであろう事が、"その場面"だけで痛いほどに伝わってくる。

私が最初にジェニーに対して抱いた印象の反省も含め、一人一人の人間の"見えない部分"にも思いを馳せる事の大切さを改めて教えてもらった。
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