Kuuta

ゴジラのKuutaのレビュー・感想・評価

ゴジラ(1954年製作の映画)
5.0
Filmarksレビュー500本目。
5月公開のハリウッドゴジラ「キングオブモンスターズ」への期待を胸に、久々の鑑賞。到底語りきれないので、円谷特撮の素晴らしさについては他の方に譲り、私は本多猪四郎による人間パート、特に芹沢博士(平田昭彦)に絞って書きたいと思う。

昨年のアカデミー作品賞「シェイプ・オブ・ウォーター」にも通じるが、異形はしばしばアウトサイダーのメタファーとして扱われる。

ゴジラが科学の産物なのは言うまでもないが、地球を滅ぼす力を持ったオキシジェンデストロイヤーの開発者芹沢もまた、ゴジラ以上のアウトサイダーであり、怪獣である(あの時代の科学者は戦時中原爆の開発に関わっていたケースもあり、ゴジラを産んだのは芹沢という見方も出来る)。

芹沢は山根恵美子(河内桃子)の婚約者だったが戦争で片目を失い、人間不信に陥り、社会との繋がりを断つ。終戦から9年経っても戦争の傷に苦しむ芹沢を尻目に、恵美子は一般大衆を代表するイケメンの尾形(宝田明)に恋人を切り変える。戦後復興に沸く東京の街にはネオンが灯り、若者は船で踊る。

毎回思うが、家を訪ねて来た恵美子に芹沢が恐ろしい実験を見せてしまうシーンは、科学者としての自己顕示欲もわからないでもないが、どう考えても普通の感覚からズレている。コミュ障の痛い行動というか、初デートでポルノ映画を見に行ったトラヴィスを連想してしまう。

(ショックを受けて帰宅した恵美子が、画面奥で無言でエプロンを付ける場面が美しい。手前に山根博士や尾形がいて、その間に幽霊のように恵美子が立っている。構図からして計算されたショット)

リアルが充実していない芹沢が、浮ついた社会をゴジラが蹂躙する姿に共感を覚えるのは必然と言える。科学者としての純粋な興奮と、戦後日本への怨念が重なって爆発している。

思わず素手で三葉虫を触ってしまうくらい、新たな研究対象の登場に大興奮の山根博士(志村喬)は「なぜゴジラを殺そうとするのか」と主張する。異形側の人間として当然の感情だ。早く婚約の話を切り出したい尾形は「ゴジラで辛い思いをしている人もいるんですよ」と正論をぶつけるが、イライラモードの山根博士は「帰ってくれ!」と一蹴する。世俗と異形の人間のすれ違いが描かれている。

尾形は劇中ひたすら一般人な凡庸なセリフを重ねる。芹沢の苦悩も知らずに「オキシジェンデストロイヤーを使え」と言いに来るが、それは芹沢に死ねと言っているのと同義であり、芹沢は当然突っぱねる。尾形は黙ってしまう。

オキシジェンデストロイヤーを使う使わないの論争にほぼ勝利していたはずの芹沢の心が動いたのは、血を流す尾形を介抱する恵美子の姿を見て、彼女を巡る三角関係に勝ち目が無い事を察してしまったからだ。ショックを受けている所で追い討ちのようにテレビから平和の歌が聞こえてきて、彼はこの世を離れ、未来を尾形と恵美子、子供達に託す決意をする。

この部分、私には、戦争の影を背負うのは自分で最後にしたいというヒロイックな思いと、社会に自分の居場所を見出せない絶望からの逃避、2つが入り混じっているように感じられる。

怪獣映画を見て「街を壊すなんてひどい」としか思えない尾形のような人には、怪獣映画は向いていない。ミニチュアの建物が潰れ、炎上し、人が死んでいく。「こんな日本は壊してしまえ」という高揚感と「自分は最低だ」と自己嫌悪が行ったり来たりする。ゴジラと自分を重ねながら、アンビバレントな悲哀を噛みしめる。この瞬間こそが、怪獣映画を見る至上の喜びだ。

多くの観客がゴジラに共感したからこそ、悪役として登場したはずのゴジラは、その後「ヒーロー」に立ち位置をスライドできたのだと思う。

今作が映画として優れていたのは、劇中に「怪獣に共感してしまう科学者」を登場させ、そのドラマを丁寧に描いた事で、観客がゴジラと科学者の両方に感情移入できるようにした点だ。このおかげで、我々はその両者が渾然一体となって死んでいくラストにより強い感動を覚えるのである。

ゴジラと芹沢は太平洋に消える。戦争の落とし子である両者が、多くの日本兵が眠る海に沈むという展開。映画は最後の最後で、芹沢の意志を継ぐ事と、戦争で亡くなった人の思いを忘れてはならないという、現実の教訓をオーバーラップさせてくる。

色んな感情が入り乱れる映画なのに、最後に真っ直ぐな平和への決意が現れるこの構成は、何度見ても鳥肌が立つ。

(付言すると、この場面は私がゴジラにハマるきっかけとなった「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」のベースにある、「ゴジラは第二次大戦の英霊」という考えの源流にもなっている)

全体の脚本のバランスも優れている。船の沈没から恐怖をじわじわと煽る冒頭20分、ゴジラの生態や脅威が明らかになる20分、東京大破壊の20分、芹沢のドラマに集中する20分。

時間を掛けて心情を描くのは芹沢のパートがほとんどだが、テレビ塔の記者や「お父ちゃんの所に…」の家族、病院で母親を失う幼い子の場面は、出番は数十秒ながら目に焼き付いて離れない。疎開、戦争孤児、女性議員といった戦後間もない時代感を示す要素も随所に効いている。

殿堂入りという事で、星5とします。
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