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十二人の怒れる男のKuutaのレビュー・感想・評価

十二人の怒れる男(1957年製作の映画)
4.1
会話劇は苦手だが、この映画はやっぱり特別。見るのは3回目くらいで、展開は覚えていたのに面白かった。

・序盤はワンカットが長く、12人の区別も付きにくいが、彼らのバックグラウンドが明らかになるにつれて、単独ショットが増え、それぞれの意思が明確に伝わるようになる。

最初のカットの切れ目はヘンリーフォンダが着席するよう求められる場面であり、彼が特権的な立場にいるのは間違いないが、「三流映画だから、主演以外は覚えていない」というセリフに真っ向から立ち向かうように、他の11人も素晴らしい演技を見せている。

・Do you think you were born with a monopoly on the truth ?
ヘンリーフォンダ自身が本当に無罪を信じているのかは分からないし、真実は最後まで分からない。それでも、心の迷いと対峙しながら、自分の信じる正義(ちゃんとした裁判をする事、法の下の平等)を貫こうとする様子をリアルタイムで捉える。「真昼の決闘」のようだ。

→白スーツの彼は、西部劇における「白いハットを被る正義のガンマン」であろう。法秩序が破綻した西部の荒野において、孤独なガンマンは自警団的な行動を取るが、今作の彼もまた、1人で奮闘し、正義を果たそうとする(裁判上の証拠ではないナイフすら持ち出して説得に使う。明らかにやり過ぎだが、映画としては良いシーン)

・We have nothing to gain or lose by our verdict. This is one of the reasons why we're strong.
①ここでどんな争いをしても、自らの日常には影響しないからきちんと議論しよう、という大前提のルール
②自分と無関係の人、どこにでもある事象だからこそ、正義が貫徹されるべきという理念(プライベートライアンのテーマでもある)が同時に語られている。

法廷劇の傑作とされるが、理想のアメリカとは何か、民主主義とは何かについて描いた作品でもある。移民の寄せ集め集団であり、異なる世界観(偏見)の中で共存する事を前提とした国からこそ、熟議(deliberation)の上で妥当な結論を導く、その積み重ねで発展してきた。今作ラストで裁判所から陪審員たちが散っていく場面が爽快なのは、アメリカの建国精神が街に広がり、根ざしていく瞬間を捉えたものだからだ。

意見の交換を通し、それぞれが自らの立ち位置を見つめ直しながら、より合理的な結論に近づいていく。一方で、一人一人の意見には背景があり、尊重されるべき理由があるのだという事を、悪役と見られがちな、最後まで有罪と主張した陪審員のシーンで示すのも素晴らしい。
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