emily

鬼畜のemilyのレビュー・感想・評価

鬼畜(1978年製作の映画)
3.8
宗吉は妻梅子と印刷業を営んでいたが、鳥料理屋の菊代との間に3人の隠し子がいた。生活が苦しくなった菊代は子供三人を宗吉に押し付け蒸発してしまう。梅子は3人にきつく当たり、結果次男の庄二が栄養失調の末死んでしまう。悲しい反面少し安心もしてしまう宗吉は、長女の良子を東京タワーで置き去りにしてしまう。住所を言えない彼女は戻ってくることはなかった。問題は長男利一だった。6歳なので、良子のようにはいかない。今度は北陸海岸に連れていき、崖から落とすが、警察に発見され、利一は眠ってる間に落ちたと言い父を守る。そうして父と再会した利一は・・

一見悲劇の物語が喜劇にもホラーにも転がってしまう。子供を押し付けていなくなる母親も恐ろしいが、梅子演じる岩下志麻の恐ろしい色気と、鬼のような残酷さがスパイスとして光っている。それに翻弄されて板挟み状態の夫緒方拳。子供にも妻にも良い顔しつつ、この人が追いつめられていく様は滑稽で、それでいてどこかただ弱いだけの男ではない空気感がある。そうして、その空気感は自然と陰湿に、妻の鬼の残酷さよりもさらに残酷な行動に出てしまう。

一番印象に残るのはやはり次男に食べ物を突っ込む梅子の姿。このシーンの恐怖、底知れぬ彼女の狂気を感じる。ただそこに至るまでの庄二が食べ物をぐちゃぐちゃにして遊ぶシーンをしっかり映してるので、母親なら経験があるイライラを募らせる感じはすごく共感ができる。その姿をじっと見ている梅子と同じように、沸々と怒りが湧いてくるかもしれない。

一人目は偶然、二人目はあわよくば、そうして最後には殺人に発展してしまう。徐々にエスカレートしていくので、罪悪感が麻痺していて、殺害に至る。それをしっかり受けとめ自分がしたことを理解した時、父は実質的に心の死を迎える。それは肉体的な死よりも過酷で、決して下ろすことのできない重石なのだ。

最後の解釈は観客にゆだねられているが、父が思う以上にその罪の重さを、思い知る事となる。もちろん産みの親も、梅子も同じように罪深い。

いつだって犠牲になってしまうのは子供で、子供は親を選べない。子供は子供で現実を受け取り、子供なりに考える苦しみこうどうする。どんなダメな親でも子供にとっては親で、それを守ろうとするのが子供だ。それだけ子供にとっての親は絶対的存在で、それを無碍にするという事は自分自身も傷つけるのと同じことである。産んだからには責任がある。どんな事があっても、その責任は全うしなければならない。
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