三樹夫

告白の三樹夫のレビュー・感想・評価

告白(2010年製作の映画)
2.1
元々湊かなえの原作は読んでいた。他にも湊かなえの小説は何冊か読んでいるが、子供に対して、子供は完全純粋無垢な真っ白な存在ではなく悪意を持ったりもするという捉え方をしており同意するので湊かなえを全否定はしないが、人工的なキャラクターに人工的な物語と、人工的というワードが湊かなえを一番的確に表すと思う。扇情的でポルノグラフィックな人工的小説を書いてヒットしている人。良輝みたいな勘違い熱血教師がいないとは言わないけど、こういったキャラをやたらに詰め込むから人工的感が増す。人工調味料を入れすぎな料理みたい。都合よく不幸な出来事が起きたり、キャラが不可解な言動をしたり、不幸のつるべ打ちみたいな負のご都合主義で刺激的なイベントを連発させる手法を得意とする小説家。
その湊かなえ原作をこれまた人工的な中島哲也が監督脚本で映画化したので凄まじい人工的な作品になった。人工的な原作に人工的な監督を重ねるという二重苦とも思えるし、逆にこんな人工的な原作を監督するのは人工的な監督以外にはどうしようもないんじゃねと、湊かなえ×中島哲也が正解だったような気もする。

湊かなえがどういった気持ちでこの原作を書いたのかは分からない。現実の若者を見て、お前ら若者のことを嫌いと思っている人間もいるというように森口に感情移入しているかもしれないし、最近の若者やばくないかという危機感があったのかもしれないし、ただ単にヒット狙いなのかもしれない。
しかし中島哲也がなぜこの原作を監督したかは明白で、完全に若者に対して危機感を持って作っている。ただ中島哲也はゲームにより若者が生や痛みの実感がわかなくなるとか真剣に思っちゃう人で、つまり最近の若者は~のペラペラな説教してくるおっさん。ただし中島哲也は生半可な気持ちで説教しているわけではなく真剣に説教の中身も考えて最近の若者は~説教をしているのだが、真剣に考えたけど中身がペラペラという、真面目なんだろうけどねといったところ。映画づくりは自分より若い世代とのコミュニケーション、10代20代の子たちが何を考えているか興味があるとも言っているが、おじさんの若者考察浅くない?と言わざるを得ない。
まずネット、ケータイやゲームの登場に関わらず訳の分からん少年犯罪は定期的に起こってるから。犯罪件数のデータだけ見ても昭和35年頃をピークに基本ずっと下がってるし。劇中の中学生はゆとり末期ぐらいだろうけど、団塊だろうが氷河期だろうがゆとりだろうがZだろうが世代関係なく訳の分からん奴はいるってだけ。平気でホイホイ人殺したり、無自覚に相手をすごく傷つける奴なんてどの世代にもいる。80年代とか教師からボコボコに生徒は殴られてただろうけど校内暴力と暴走族の全盛期だし名古屋アベックみたいな事件は起きてるし、中島哲也の少年時代の70年代も生徒会応援演説が嫌になって殺したとか、運動会のことで責められカッとなって殺したとか、ダイナマイトやパチンコ玉爆弾爆破の事件とか起こってるし、ちょっとは自分の中学時代とかを振り返らなかったのだろうか。後ちょっとは調べろよと、少年犯罪の事例やデータなんてわんさか出てくるのに。
精神面に目を向けても中野富士見中学いじめが86年だし、コンクリートや酒鬼薔薇聖斗とか飛び抜けて異常な上にゆとりの犯罪でもないし。カツアゲとかすごく軽く見られるけどかなりヤバい犯罪だし、それが横行してたとかどうかしてるし。どう考えても異常な陰湿さや異常さを持った奴および空間は時代関係なくどこにでもあるのに、それでこの映画の内容はおっさんの最近の若者は~説教でしかないと思う。最近の若者は~人間は本当に一度自分の中学生時代とかをちゃんと思い出した方がいい。後、ちょっとぐらいは昔のこと調べろ。
おそらくないと思うが、これの映画はゆとり末期の少年少女に限った話なのではなく、すべての少年少女に当てはまる普遍的な話なのですみたいな意図があるなら失敗している。普遍化はできておらず、特定の世代の少年少女でしかない。

本編中ほぼずっとBGMが鳴り続き所謂スタイリッシュな映像で、ネットとかで流れる1分ぐらいのCMを1時間45分に引き延ばしたような映画になっている。中島哲也ってスタイリッシュ演出やるのにキャラがギャーギャー喚いたりビービー泣いたりするのなんでなんだろ。そういった感情をお得意のスタイリッシュな演出で映像にして表現すればいいのに。なので劇中のスタイリッシュ演出は、何の意味もなく単にカッコいいと思ってやってるだけ?と思えてしまう。例えばデパルマがやるカメラぐるぐるはエクスタシー表現として意味があってやっているのに、正直この映画のスタイリッシュ演出は意味があってやっているようには思えなかったな。ただ単にカッコいいからでやるなら、やたらギャーギャー喚いたりビービー泣いたりする変に感情的なのを排するべきなのでは。映像はガチャガチャしてるわ、キャラはギャーギャー感情的だわってそんなの観てられない。ひ・と・ご・ろ・し・し・ね、ギャーギャーとかギャグでやってるのかと思った。公開いじめがあって全員ヒャッハ―とはならんと思うが。ほとんどの人間はドン引きして絶句しているだけだと思う。後、単純にこの演出結構ダサくないかというのがある。シャボン玉の中歩いて行くのとか、やたらスローモーションとか。
中島哲也は原作を読んでみんなものすごく人間的と思ったらしいがどこが?自分を美化するような嘘をつくイキり中学生とか、嘘をつくところとかかな。また現場で厳しいことで有名だが、アヤカ・ウィルソンになんでそんな偉そうなんと言われて片付け手伝ったりするあたり、篠原涼子に二度と割り箸を投げるなと言われて従った蜷川幸雄と同じく、自分の立場利用して逆らってこないのをいいことに振る舞ってないかと思う。
三樹夫

三樹夫