あの『ハイ・フィデリティ』の熱狂的で偏執的な店員(ジャック・ブラック)が、もしも教壇に立ったなら。
そんなふうにも楽しめる心踊る作品であり、同作で怪演(快演)した店員の情熱はそのままに、やがてロビン・ウィリアムズ主演『いまを生きる』(1989年)のような地平へと抜けていく。
青年から大人へという成熟を描いた『ハイ・フィデリティ』に対して、『スクール・オブ・ロック』のほうは、大人の価値を拒もうとする成熟への否定を描いているのも、合わせ鏡のようで面白く思う。その時期にはその時期にしかない情熱があり、躍動する心を無駄にするなという内容の作品。
デューイ(ジャック・ブラック)が教室で板書した「ロック史」は、ぜひ聴講したいものであり、劇中で扱われたミュージシャンやバンドを列挙すると、AC/DC、ブラック・サバス、ディープ・パープル、ドアーズ、ピンク・フロイド、イエス、ラッシュ、ジミ・ヘンドリックス、ザ・クラッシュ、クリーム、ザ・フー、ラモーンズ、ザ・ダークネス、レッド・ツェッペリンなどの他にアレサ・フランクリンなども登場する。
ロックの定義はそれぞれにあり、上記のバンドやミュージシャンなどへの思い入れも、人それぞれではあるものの、僕なりに思うロックの核心はカウンター性にある。
その機微は、たとえば『パイレーツ・ロック』(リチャード・カーティス監督, 2009年)や『追想』(シアーシャローナン主演, 2018年)などでもモチーフとして扱われており、いずれの作品においても、1962年というビートルズのデューした年が、どれほど時代を画するものだったか、そのことが熱気やすれ違いのなかによく描かれている。
第二次大戦に従軍して生き残った男たちが帰還し、世界的なベビーブームのなかで誕生した戦後の若者たち。彼らのリアリティは、世界を悲惨な状況に追い込んだ、親世代の権威や体制に対するカウンターのなかにしかなかった。
監督したのが『ビフォア』シリーズや『6才のボクが、大人になるまで。』のリチャード・リンクレイター監督であるのもたいへん面白く思う。
彼の主要なテーマである「時間」については、やはりこの作品にもよく表れていた。『6才のボクが、大人になるまで。』のラストで語られていた「一瞬を逃すなと人は言うけれど、むしろ一瞬のほうがわたしたちを捕まえにくる」という時間意識は、まさしくロックの精神のように思う。