佐藤でした

大人は判ってくれないの佐藤でしたのレビュー・感想・評価

大人は判ってくれない(1959年製作の映画)
3.4
フランソワ・トリュフォー監督自身の子供時代の体験を大いに反映させているという今作。

12歳のアントワーヌは、学校に行けば、勉強しろ、宿題をして来いと怒鳴られ、家に帰れば、買い物に行け、食事の用意をしろと命令され、板挟み状態。そんな中で、聞きたくもない両親の喧嘩を聞かされ、夜は寝袋で眠る。これでは、家出したくなるのもわかる‥

が、それにしても!というくらいアントワーヌはバカ息子である。ズル休み、家出、飲酒、喫煙、窃盗。

反発というのは、相手があって初めて出来るもの。学校を辞めて、親にも捨てられて一人になって、その先、もし“本当の自由”が手に入ったら彼は何をするのだろう。大好きな映画でも思う存分観るのだろうか。

最後のカメラ目線にはハッとするものがあるが、どうもモヤモヤが残った。

が、好きなシーンももちろんあった。

アントワーヌが母のビューラーでまつ毛を上げてみるシーン。鏡台の大きな鏡、その手前にある手鏡、横にある姿見という3つの鏡を使って何でもない光景を特別に見せている。さりげない一工夫だが、単調な白黒の中にちょっとしたファンタジーを作り出している。

また、学校を休んで、大きな洗濯機のような回転ドラム式のアトラクションで遊んでいるシーンもいい。壁にべったりと張り付いて逆さまになっても体が落ちないほどの遠心力で、子供の鬱憤は少しでも晴れたのだろうか。


(シリーズ企画:グザヴィエ・ドラン監督が選ぶTOP10の[第4位]ってことで観てみました。)

‥『マイ・マザー』での「お母さんは死にました。」という台詞の引用だけでなく、会話というよりインタビューに近いようなワンショットとか、影響を受けている事が随所に感じられた。
佐藤でした

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