大人は判ってくれないの作品情報・感想・評価

「大人は判ってくれない」に投稿された感想・評価

杏

杏の感想・評価

3.9
大人だって子供の頃があったはずなのに、なぜ大人は判ってくれないのだろう。そう子供時代に何度も考えていたことを思い出す
授業中生徒全員でふざけたり、マラソン?的なことをしている時にどんどん生徒がいなくなっていくシーンがお気に入り。終始微笑ましくてなんだか懐かしくもあって、口角が上がりっぱなしだった

好きすぎる邦題から気になってた映画で近場のレンタルショップには在庫が無くずっと観れずにいたところ、トリュフォー特集をやっているミニシアターがあったので映画館でヌーヴェルヴァーグ作品を鑑賞するという最高の体験をすることができました︎︎︎︎幸せ
Moh

Mohの感想・評価

4.6
子供時代の喪失感って、大人からは伝わらないわよね。子供が判ってあげないわけじゃないのよ、お気づきなさって?

インタビューでトリュフォーも最初はドアの開閉ばっかり撮ってたって言ってたわ。よかったわねあなた。
「大人は判ってくれない」
今まで見た映画で1番なんじゃないかと思うくらい邦題が素晴らしいと思った。
大人って言葉が嫌いな自分にはぴったりな映画だったな
Nishiumi

Nishiumiの感想・評価

3.5
自分勝手な母親、存在感の無い父親、権力志向の教師、大人は無情なものだ。自由になりたい、でも一人では生きてゆけない、ドワネルの不安げな表情が切ない。

このレビューはネタバレを含みます

友だち役のパトリック・オフェイ君の名前も、キャストの記名に加えて欲しい。
とても良いキャラだったし、彼のちょっとリッチなアパートメントにあった馬の像にもインパクトがあったナ◎

あとは学校の体育の授業?で、街中をランニングするのだけど、張り切ってるのは教師のみ。
スポーツウエアも着ずにコート姿で2列で歩く生徒たちは、だんだんと路地に消えてエスケープする。街の上からの撮影でとてもわかりやすく笑わせてくれる♫
Ken

Kenの感想・評価

3.8
大人は判ってくれないし判ろうともしてくれてない感じが悲しい。子供も大人を判ってあげない。なんとも不安な終わり方でした。
lente

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5.0
無意識の揺らぎを描くということ
フランソワ・トリュフォー
1/2

ヌーヴェルバーグ(Nouvelle Vague)の字義や映画史における意味合いも、また様々な現象面についても僕は語る言葉を持たないのですが、ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーをはじめその担い手とされる監督たちの作品を観れば観た分だけ、おそらくは当時の価値から遠く離れていくだろうという直感だけはあります。

それは当時の価値をうまくつかまえられないということではなく、また時代を超えた普遍性をもつということでもなく、時代的な制約がどんなものであったのかが鮮やかに観てとれることを意味しています。またむしろそうした制約のうちにこそ、立ち上げられた様々な息づかいが象徴としての力を持ち得ている。

僕にとってのヌーヴェルバーグは、このような風景のうちにこそ「新しい波」としての息吹を持っています。

フランソワ・トリュフォーの初長編作となる『大人は判ってくれない』の原題『Les Quatre Cents Coups』(英:400 Blows、日:400回の発砲)はフランス語の慣用句らしく、ルイ13世がある戦闘において無駄に大砲を400回発砲したことから「無分別」という意味合いがあるそうです。ですから主人公が少年だからといって大人を対立軸とするのは安易ですし、明らかにミスリードのように僕には思えますが、興行性も含めたこのミスリードを味わうのも映画の醍醐味だろうと思います。

もちろん12歳のアントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオ)は、学校の教師や家庭の両親とも上手くいかず家出して夜のパリをさまよい、盗みを働き最終的には少年審判所(少年院)に送られたのち、脱走して海辺にたどり着いて映画は終わることになります。しかしながらそれは、やはりフランス語の慣用句にある「enfant terrible」(アンファン・テリブル:おそるべき子供たち)としての大人への反抗を描いているわけではないはずです。

このことは本作より4年前に撮られたジェームズ・ディーン主演『理由なき反抗』(原題:Rebel Without a Cause, 1955年)と比べてみると鮮明に立ち上がってくるように思います。『理由なき反抗』が青年期に通過する自我の葛藤や揺らぎによるものだとするなら、本作に描かれているのは少年の自我ではなく、精神分析を創設したジークムント・フロイト(1856–1939年)が後期にまとめた「自我・エス・超自我」のうちの「エス」に近い感覚がある。



フロイトは人間の精神には3つの領域があるとし、それぞれを「自我(意識)」「エス(無意識)」「超自我(良心)」としました。ちなみにエスとはドイツ語のESで、英語のITに相当する指示代名詞ですが、スティーブン・キング原作『IT』と同じ意味合いを持っています。基本的に「自我(意識)」は自分が自分であると思っている領域であり、「エス(無意識)」からの不条理な欲望に翻弄されながら「超自我(良心)」との板挟みになっています。フロイトはこうした区分を用いることで、心の病と向き合う手法を創設したことになります(そのため自然科学的な意味で、ほんとうにそうなっているという訳ではありません)。

ですからこの『大人は判ってくれない』に描かれているものは、少年アントワーヌの「自我(意識)」の揺らぎもあるのですが、真に描かれているのは彼がさまようことになるパリの街並みであり、最終的にたどり着くことになる海辺だろうと僕には感じられます。彼が通過していくことになる背景こそが「エス(無意識)」の闇を豊かに象徴し、そのなかで生成しては消滅していく様々な移ろいを海辺に打ち寄せる波のように明滅させている。

現にこの物語に描かれるどんな大人たちよりも、少年であるアントワーヌが最も分別を持っています。12歳という年齢による幼い脱線もありますが、管理社会の窓のような教師や身勝手さを欺瞞に包んだ両親たちよりも、彼の自我はバランスを保っています。むしろ大人たちの生息する「街」という存在それ自身が、不条理な欲望の闇を濃密にたたえているように描かれています。

しかしながらアントワーヌの純粋さを大人の欲望と対比させた作品というものでもなく、やがて彼自身も「エス(無意識)」の力に翻弄されていくだろうことがナイーブに織り込まれています。トリュフォーはそうした「エス(無意識)」のうごめきを、おそらくは映画製作の具体的な制約のもとでドキュメンタリーのような手法で撮った。

ですから彼は少年を撮ったのではなく、自伝的に語る語り口のなかで自身の背景にある名づけようのない「それ(ES,IT,CE)」を撮った。やがてフィルモグラフィを重ねていくなかで、トリュフォー作品からは少しずつ「それ」の気配は後退していくことになり、最終的には「自我(意識)」のみのドラマとなっていきます。けれどそうした変遷もまたとても興味深く僕には感じられます。
豆

豆の感想・評価

4.0
R4 No.106

タイトルが全てを表してると言っても過言ではない。

最後の海はもう逃げ場がないことを表してるのかな?
yumiko

yumikoの感想・評価

3.0
パリの下町にする12歳の少年アントワーヌのお話。イタズラ好きで、先生に叱られてばかり。母親も冷たく、義父は優しいがあまり親身でない?

とにかくアントワーヌくん色々やらかす。
授業中いたずらしたり、学校をサボったり。
叱られて家を出たり。盗みをしたり。

そして、少年鑑別所に送られてしまう。

んー。
退屈だった。
修石原

修石原の感想・評価

3.6
ヌーベルヴァグの代表作
ゴダールは「勝手にしやがれ」を
トリュフーは「大人はわかってくれない」
共にデビュー作。

ゴダールは 恋愛映画
トリュフーは家庭映画。

共に、お互いの“らしさ“が出た傑作であるが 好みは別れる。
自分はゴダール派。

自己主義が徹底しているフランスならではの両親の破天荒振りが面白い。
日本でこの手の映画を創ると、恐らくもっと じめっとしたものになるが 本作は
むしろユーモラスでカラッとしている所が良い。
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