Kumonohate

古都のKumonohateのレビュー・感想・評価

古都(1980年製作の映画)
3.5
篠山紀信が山口百恵のことを「時代と寝た女」と評したその真意は知らない。だが、個人的には、「時代の要請によって誕生し、時代の終焉とともに消えていったアイドル」と解釈し、その解釈には納得している。すなわち、「あの時代だったからこそ輝いたスーパー・スター」だったと思っている。だから、山口百恵という存在には時代を超えた普遍的価値をさほど見出せない。

などと書くと語弊があり過ぎるので言い訳する。

もちろん、今や伝説として歴史に刻印されている事実を否定しないし、時代を超えて歌い継がれるべき楽曲が少くないとも思う。ただ、その佇まいだとかオーラだとか何かのシンボルとしての価値だとかが、70年代を飛び越えていないように思う。てか、そんなことは殆どの表現者に当てはまるのかもしれないが、山口百恵の場合は、あの潔い引退も手伝ってか、その象徴するモノが70年代そのものという気がする。余りに70年代を体現してしまっているため、他の時代には所属し得ない存在という感じがするのである。(個人的な意見です)

さて、本作は、市川崑監督の安定した演出、切り取られる京都の情景、石田信之や沖雅也の好演など、見どころの多い良作だと思う。ただ、1963年版の「古都」(岩下志麻)や、同じ市川監督による「病院坂の首縊りの家」(桜田淳子)に比べると、山口百恵による一人二役の演じ分けが不十分。一卵性双生児でも性格は違うという自明の理を、岩下志麻や桜田淳子ほど上手く表現できていないように思う。それを補うべきメイクにも、プランの混乱が見られる気がする。

そして、何より、古都京都でしかも川端文学という普遍的価値に、山口百恵がフィットしていない。

片や捨て子だが老舗の呉服問屋で何不自由なく育った姉、片や捨て子は免れたが両親と死別し奉公先で林業に従事する妹。育ちの異なる2人は、それでも、運命を呪ったり相手を羨んだり人生を変更したりしない。あくまで自分のポジションに留まり、前の世代から受け継いだモノを次の世代に渡すためのリンクとなることを自分の役割と定め、その役割を全うする為に生きようとする。異なる人生を歩んだ主人公の双子だが、図らずも同種の人生を歩むことになるのである。そして、そうやって伝統という普遍的価値を守り続けるという生き方は、山口百恵には似合わないと思う。
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