デニロ

浪花の恋の物語のデニロのレビュー・感想・評価

浪花の恋の物語(1959年製作の映画)
3.5
1959年製作公開。原作近松門左衛門。脚色成澤昌茂。監督内田吐夢。

人形浄瑠璃のかかっている小屋で大人たちが悩んでいる。客入りが悪い。浄瑠璃作者の近松門左衛門は客席の後方でその有様をジッと見つめている。大人たちは「曽根崎心中」のような傑作を再び、と望んでいる。無論、近松門左衛門も台本の良し悪しと客入りの関係は承知しているのですが。

その小屋に中村錦之助が、観劇中の義母田中絹代とその娘花園ひろみに弁当を届ける。田中絹代/妙閑は夫亡き後飛脚問屋亀屋を引き継ぎ、ゆくゆくは花園ひろみ/おとくに中村錦之助/忠兵衛を娶せて家業を任せる算段だ。その時忠兵衛は、ある飛脚が1両を封印切をしたため、役人から飛脚の組合に呼び出しがある旨を伝える。妙閑は、経験を積むいい機会だからお前が行きなさい。粗相のないように、と言いつける。

その寄り合いの帰り忠兵衛は、飛脚仲間の千秋実/丹波屋に今日こそ付き合え、と強引に新町廓に連れ込まれる。任せとけ、義母さんにはいいように話しておくから、と。もつべきは友、ですかね。そんなこんなで丹波屋の馴染に行くと、張り見世にはきれいどころが沢山。え、美人ばかりじゃん。そんな中一際立っているのが有馬稲子。その店の遣手婆浪花千栄子によろしく頼む、と忠兵衛を棄ておいて馴染の女の下に急ぐ丹波屋。浪花千栄子は有馬稲子/梅川を忠兵衛にあてがう。/もう帰らなければなりません。金は払ってあるんだからもういいでしょう。/そんなわけにはいきません。初見の人を何もせずにお返ししたらお店に怒られますし、わたしの恥です。どうかどうか。/

で、次の夜、丹波屋がいそいそと亀屋に出向くと、忠兵衛は既に出掛けている。???もしや!と手を打って新町に向かうと、忠兵衛は梅川の座敷にいる。なんだよ、素早いな。いじいじしてたくせにもう裏を返していやがらぁ。

そこから先は忠兵衛と梅川の狂おしいというかなんというか、忠兵衛の遊びを知らないバカっぷりというかが描かれて行き、その行状をジッと見つめているのが近松門左衛門/片岡千恵蔵ということになります。近松門左衛門は何にもいたしません。ただその場に立ち会うことになりじっと見つめているのです。

そして冒頭で紹介された封印切をあろうことか忠兵衛がしでかしてしまうのです。しかも武家のお蔵金200両。なんとなれば梅川を何としても自分のものにしたい。でも、小豆島のお大尽東野英治郎が梅川を気に入り既に身請けの約束を取り付けている。恋は盲目、恋の病に薬なし、近松門左衛門は台本を急かす座本に、人間ですもの間違いをしでかすこともあろう。忠兵衛は獄門、梅川は二度の勤めになるかもしれないが、わたしの筆はそこまで不人情にはなれない。で、門左衛門の筆が走り出すと、柝の音が入り画面は変わって黒の背景に忠兵衛と梅川の道行きとなる。内田吐夢監督の嗜好でしょうか、『恋や恋なすや恋』で更に発展して狂おしくなっていましたけれど。忠兵衛の実父のいる村への逃避行。この期に及んで何故に父親に会いに行くのかもよく分からないけれど、会う会わないで泣かせる芝居になっております。それを言っちゃあお終いか。

で、いつの間にか語り部だった近松門左衛門というよりはむしろ御大片岡千恵蔵の独白が作品を支配していき、男と女の物語の行く末を思う御大のアップで幕を閉じるのです。

錦之助の忠兵衛は間抜けにしか見えないけど、梅川/有馬稲子と共に姿かたちが美しい。

神保町シアター 女優魂――忘れられない「この1本」(有馬稲子)
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